感染は自己責任? 「コロナ差別」を生み出した“とにかく自粛”の曖昧さ:河合薫の「社会を蝕む“ジジイの壁”」(4/5 ページ)
新型コロナの感染が再び拡大する中、感染者や東京の人などに対する差別が報告されている。ここまで恐れてしまうのは、リスクコミュニケーションが機能していないから。データに基づく行動基準よりも「自粛」という言葉が前面に出ていた。リスク管理と差別を分けて考えるべきだ。
「やっていいこと、悪いこと」よりも「自粛」が前面に
例えば、ドイツのミュンヘンでは、外出禁止令が出る前から、これこれは通常通りやってもいいですよ、とできることを明確に説明していました。「健康のための散歩、ジョギング、サイクリングは、1人、または家族、同居人となら複数でもよい」「同棲カップル、内縁の妻だったら公園でも濃厚接触オッケー」など、実に細かく、明確に定義が示されたといいます。
長い冬を強いられるドイツ人にとって、暖かくなる春に家でじっとしていられるわけがなく、地元の公園は「できることのルール」を守る人たちがつめかけ、コロナ前と同様の人出だったそうです(ミュンヘン在住の知人談)。
私の記憶に間違いがなければ、日本でも緊急事態宣言が出される前には、専門家会議で「やってもいいこと」がきちんとまとめられ、記者会見でも公表されていたのに、だんだんと報じられなくなり「自粛」という言葉が増えていった。
今となっては「東京アラート」も何だったのかわけが分かりませんし、感染者が増えている状況を“リーダー”たちが「嫌な感じ」と表現することも、不確かな情報や不安拡大につながっているように思えてなりません。
そして、感染=自己責任、感染者=差別という状況が、感染してしまった人の心に大きな傷を残すことも決して忘れてはなりません。これは「社会的スティグマ」と呼ばれています。
社会的スティグマを防ぐには、「ウイルスを感染させる」「ウイルスを拡散する」といった表現はタブーとされ、科学的データや最新の公式推奨事項に基づいたリスクを、正確に伝えることが大切です。また、予防と治療の効果を強調し、脅すようなネガティブなメッセージを強調したり、くどくど述べたりすることは避けなくてはなりません。
関連記事
- 誰も頼れず孤独死も…… 新型コロナがあぶり出す、家族と社会の“ひずみ”
新型コロナ感染拡大によって、孤独死の問題も表面化している。家族のカタチは大きく変わり、頼ることができる「家族」がいない人も増えている。一方で、日本社会は40年前の「家族による自助」を前提とした理念と仕組みを踏襲し続けている。 - 賃金は減り、リストラが加速…… ミドル社員を脅かす「同一労働同一賃金」の新時代
2020年は「同一労働同一賃金」制度が始まる。一方、厚労省が示した「均衡待遇」という言葉からは、正社員の賃金が下がったり、中高年のリストラが加速したりする可能性も見える。そんな時代の変わり目には、私たち自身も働き方と向き合い続ける必要がある。 - 窓口対応で土下座まで……「カスハラ」対策、“理不尽なおもてなし”から解放されるか
6月から職場でのパワハラ対策が大企業に義務付けられた。公務員ではパワハラ対策と合わせて、「カスタマーハラスメント」対策も進められる。“おもてなし”という言葉でごまかさずに、感情労働にはお金とケアが必要だという認識が広まってほしい。 - 「上司の顔色伺い」は激減? テレワークでは通用しない“働かないおじさん”
新型コロナによって、多くの企業がテレワークや在宅勤務の導入を余儀なくされた。今後は新しい働き方として定着していくだろう。そうなると、上司と部下の関係も変わる。前例や慣習が通じない世界が待っている中、新しい上司部下関係を構築していく必要がある。 - コロナ後の働き方? 「ジョブ型雇用」に潜む“コスト削減”の思惑
コロナ禍で在宅勤務が広がり、「ジョブ型」雇用の導入に向けた動きが注目されている。しかし、時間ではなく成果で評価する「高プロ」制度は浸透していない。労働時間規制を免除できる制度を模索しているだけでは。それは「雇用する義務の放棄」でしかない。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.