電通「過労自殺」事件から5年 “命を削る働き方”がはびこる社会は変わったか:河合薫の「社会を蝕む“ジジイの壁”」(3/4 ページ)
電通の新入社員が過労自殺した日から5年。コロナ禍で在宅勤務が広がり、残業が減った企業がある一方、エッセンシャルワーカーは異常な働き方を強いられている。「人」をコストとして見る発想がある限り、長時間労働はなくならない。“不便”を受け入れることも必要だ。
コスト削減から生まれた「残業文化」
そもそも「残業」は、コスト削減が目的で生まれた発想です。
1970年代に入り、「メイド・イン・ジャパン」が世界で評価され、需要が急激に拡大しました。追い付かない供給をカバーする目的で生まれたのが「残業」の発想です。人を雇い入れるより便利だと経営者が安易に判断し、「残業文化」は日本の悪習となりました。
時を同じくして70年代後半から、中小企業の管理職層で心筋梗塞を発症する人が相次ぎました。80年代に入ると、サラリーマンが突然、心筋梗塞・心不全、脳出血・くも膜下出血・脳梗塞などの疾患で命を失うという悲劇が多発するようになり、「過労死」という言葉が生まれました。
最初に「過労死」という言葉を使ったのは、日本の医学者であり、旧国立公衆衛生院の上畑鉄之丞名誉教授です(2017年11月9日没)。医学の現場で「過重労働による死」がいくつも報告されたため、上畑氏は遺族の無念の思いをなんとか研究課題として体系づけたいと考え、1978年に日本産業衛生学会で、過重な働き方による結末を「過労死」と呼んではどうかと提案しました。
新しい言葉は常に「解決すべき問題」が存在するときに生まれます。その言葉がよく当てはまる問題があちこちで起こり、何らかの共通ワードが求められるからです。そして、言葉が生まれることで、それまで放置されてきた問題が注目されるようになり、悲鳴を上げることができなかった人たちを救う大きなきっかけになります。
実際、上畑氏が学会発表した翌年から事例報告が相次ぎ、「過労死」という言葉は医師の世界から弁護士の世界に広まり、88年6月、全国の弁護士・医師など職業病に詳しい専門家が中心となって「過労死110番」を設置。すると、電話が殺到したのです。
ダイヤルを回した相談者の多くは、夫を突然亡くした妻。それをメディアが取り上げ「過労死」という言葉は、一般社会に広まりました。
しかし、どんなに長時間労働の削減を訴えようとも、残業は増え続けました。そりゃあそうです。90年代に日本企業が手をつけたのは、コスト削減です。「カネ」ばかりを見て、「人」を酷使したのです。どんなに過労死や過労自殺など、長時間労働に起因する悲しい事件が続こうとも一向に労働時間は減らなかった。残業でカバーできない分は、低賃金の非正規雇用を増やし、それでも足りない分を、外国人労働者でまかなおうとしていたのです。コロナ禍で技能実習生が解雇され困窮する状況がメディアで伝えられていますが、「実習生」なのに「解雇する」という理屈も理解できません。
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