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組織にはびこる“森喜朗”的価値観 女性は「よそ者」であり続けるのか河合薫の「社会を蝕む“ジジイの壁”」(1/4 ページ)

「女性がいる会議が長い」という発言は森喜朗氏に限らず、日本企業で度々耳にする。忖度で動く「タテ社会」の組織にとって、自由に発言する女性は“よそ者”。多数派が権力を行使するために排除する。この構造を変えるためには「数の力」が必要不可欠だ。

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 「女性だけの会議は長い。みんな意見を言うばかりで何一つまとまらない」――。

 これは、世界中から批判を浴び、辞任することになった“あの人”の言葉ではありません。

 私がこれまで700人以上のビジネスパーソンにインタビューする中で、度々耳にした言葉です。

 森喜朗氏の発言は時代錯誤も甚だしい上に、ご自分の立場をまったく「わきまえて」いません。と同時に、それに同調するような笑いが起きるだけで、誰もその場で異議を唱える人がいなかったことは、日本の後進国ぶりを世界に知らしめたことに他なりません。

 つまり、森氏という“木”ばかりを見て、日本という本当の“森”を見ていないのです。

 森氏の発言は言語道断です。しかし、日本全体を見渡せば、「女性はめんどうくさい」という価値観が残っている。それが「東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の会長」というポジションにある森氏の言葉により、世界に発信されただけ。「女性軽視」は入口にすぎず、問題の根っこはもっと深いところにある。


日本の組織には、少数派である女性は「めんどうくさい」という価値観が残っている(写真提供:ゲッティイメージズ)

 実に残念なことですが、いまだに日本には「タテ社会」で動いている組織が山ほどあります。

 いまだに日本人は「あうんの呼吸」を大切にします。出世のために“クラブ活動”や“ゴルフ外交”、“麻雀外交”に精を出す人は相も変わらずご健在です。そして、そういう部下をかわいがり、休日の私的な集まりに呼びよせ「俺の右腕だ」と自慢する人も一向に後を絶ちません。

 タテ社会の組織で求められるのは、「タテシステム」への適応です。

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