従業員10人の町工場が手掛けた「下町アーチェリー」 東京・江戸川区からパリ五輪へ:“日の丸アーチェリー”復活(4/6 ページ)
かつて世界に誇るアーチェリー専門ブランドがあった日本。バブル崩壊後の不景気や少子化などで事業撤退を余儀なくされ、“日の丸アーチェリー”は2000年代初頭までに事実上、消滅したが、約20年の時を経て、昭和感が残る下町の小さな町工場がそのDNAを引き継いだ。いかにして、国産アーチェリーは復活を遂げたのか。その舞台裏を取材した。
「ゴルフは苦手」 40代半ばで競技体験、きっかけは区の広報報
西川精機製作所は一体どのような経緯でアーチェリー業界に参入することになったのだろうか。きっかけは西川社長自身のアーチェリー体験だった。アテネ五輪での山本博選手の活躍もあり「いつかアーチェリーをやりたい」と思っていたという。
そんな中、江戸川区役所が発行する広報紙にアーチェリー教室があることを家族が発見。区内のアーチェリー教室に通い始めた。
「社長だと付き合いでゴルフをやることが多いが、自分は苦手だった。ゴルフの代わりにアーチェリーをしていた」(西川社長)
平日夜の終業後に、区のアーチェリー教室に週2回通い、3カ月ほどで、ライセンスを取得し、個人で用具を購入できるようになった(※日本ではライセンス制でアーチェリー用具の管理が厳格に管理されている)。
好きな用具を購入しようと専門店を訪れたところ、国産メーカーがないことに気が付いた。当時は米ホイット製のアーチェリーを購入したものの「技術者の一人として悔しい気持ちが湧いた」と西川社長。同社製について「デザインはオシャレで洗練されているが、一技術者として見た時にツッコミどころがたくさんあった」(西川社長)と当時を振り返る。
「まずは1本、自分の手でつくってみたい」。そう思った西川社長は既製品を参考に、見様見真似でアーチェリーを自作した。東京藝術大学の研究者にデザイン面で協力してもらい、プロトタイプが完成したが、結果は自身が納得できるものではなかった。
旧ニシザワ技術者の協力で「命が宿った」
「今考えると恥ずかしい代物だったが、当時は何がダメなのかさっぱり分からなかった」という西川社長。模索する中で、頼ったのがアーチェリー業界の関係者だった。完成した試作品を各関係者に披露したが「日本企業が撤退しているのになぜつくるのか。やるだけ無駄」など多くが冷ややかな意見だった。
そうした中、一人の関係者が「本気で国産アーチェリーを復活させるなら紹介したい人がいる」と西川社長に声をかけた。紹介されたのが、現在同社の技術顧問を務める本郷左千夫さんだ。学生時代に体育会アーチェリー部に所属し、インカレの出場経験も持つ、元選手だ。
本郷さんは大学卒業後、アーチェリーメーカーの西沢に入社し、技術者としても活躍。新技術の開発など技術者として活躍したが、西沢の事業撤退後は、事実上、技術者としての第一線から退いていたという。
関係者の紹介で本郷さんに面会した西川社長。自身の国産アーチェリー復活への熱い思いなどを伝え、技術協力を求めた。だが、本郷さんは「何でいまさらアーチェリーなんかつくるのか」と西川社長の提案に疑問を呈し、簡単には首を縦に振らなかった。
「複数回アタックして、『世界一のアーチェリーをつくる』などの内容を記した誓約書のようなものを書き、やっと面倒を見てもらえるようになった」(西川社長)
こうして、16年に本郷さんの技術協力の下、国産アーチェリーの開発が再スタートした。これまで我流でアーチェリーを製作していた西川社長にとって、ベテラン技術者の教えは学びの連続だった。
「本郷さんの考えは全てが理論に則っている。ネジの場所1つ取っても理論に基づいた理由がちゃんとあり『なるほど』という発見の連続だった。本郷さんとともに開発することで、アーチェリーに“命が宿っていく”のが目に見えて分かったし、自作の中で何となくで分かっていたことが、自分の頭の中で点と点で全てつながっていくのを肌で感じた」(西川社長)
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