1日600箱以上売れる「ウイロバー」 ヒットを生んだ老舗・大須ういろの危機感:地域経済の底力(1/4 ページ)
ういろの老舗、大須ういろが2015年に発売したウイロバー。販売初日にいきなり150箱売れて、コロナ直前は年間24万箱まで売れた。今や集客装置となった、この新商品開発の裏側には、「このままでは先がない」という同社の強い危機感があった。
6月のある平日。名古屋駅の中央コンコースは、スーツ姿の男性や、キャリーバックを転がす女性のグループなど、多くの行き交う人たちでごった返している。
そのうちの何人かはお土産を買い求めて大型キヨスクに吸い込まれていく。店内には、きしめん、味噌(みそ)煮込み、ういろ、手羽先など名古屋の名物が所狭しと並ぶ。ういろが置かれた棚に、“今風”のカジュアルなデザインの箱がある。その前に立っていた若い女性が「何これ?」と言って手に取った。箱にはレトロなフォントで「ウイロバー」と書かれている。
ウイロバーは、大須ういろ(名古屋市)が2015年に発売した商品。2、3口で食べられるサイズの四角いういろに、プラスチックの棒が付いている。暖かみのあるクラフト紙の箱に入った5本セットで、価格は756円。売り出してすぐに人気に火がついた。
「ウイロバーの販売初日にいきなり150箱売れて、社内はワッと沸きました。コロナ直前は年間24万箱までいきました。1日あたり600〜700箱の計算です」
こう語るのは、大須ういろの村山賢祐社長。名古屋でういろを製造・販売する老舗企業として、長年、地元名産品の発展に貢献してきた。そんな同社にとってウイロバーは待望のヒット商品となった。その後、新型コロナウイルスの影響で名古屋を訪れる客が激減。大須ういろも痛手を受けたが、現在はウイロバーに関しては年間12万箱と徐々に盛り返している。
今や集客装置となったこの新商品開発の裏側には、「このままでは先がない」という同社の強い危機感があった。
改革の狼煙(のろし)
大須ういろは村山社長の祖父母が1947年に創業。米粉と砂糖を使った蒸し菓子である「ういろ」と、生地にこしあんを練り込んで作る同社独自の「ないろ」を中心に商品を展開。高度成長期やバブル景気を追い風に、業績をぐんぐんと伸ばしていった。
しかしながら、その状況にあぐらをかき、商品を大きく変えることはなく、旧態依然としたビジネススタイルから脱却できなかったことが、成長を鈍化させた。売り上げは目減りし、コロナ禍前には9億円ほどになった。外から見ていてツッコミどころが多かったと、村山英里副社長は言う。
「デザインの観点からはあり得ないと思いました。例えば、紙袋の正面と側面に違うロゴマークがついていたり、それをまた違うロゴマークがついた段ボールで送ったり……。本当にそういう感じだったんです」
英里さんは、村山社長の妻。もともとは東京やロンドンで服飾関係の仕事をしていた。その後、結婚して家庭に入り、子育てに専念していたが、2015年から家業に携わるようになった。
「ノータッチのつもりだったけど、さすがにこのままではダメなんじゃないのという危機感がありました。私は、ものづくりについては根本的な部分から関わらないと気が済まず、いろいろなことを掘り返したくなる性分でして。『これが本当に売れるの?』とか、『このデザインで大丈夫?』とか、ピーピー言っていましたね(笑)。そこで、社長とも話し合い、子育てを優先しつつも入社することになりました」
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