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新型クラウンはなぜ大胆に変わったのか池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/5 ページ)

新型クラウンの期待が高まっている。国産車のネームバリューとしてはトップグループだろうが、セダンは“オワコン”の扱われている。そうした中で、クラウンはなぜ変わったのか。

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国産セダンは衰亡の道

 しかしながら、皮肉なことにエンジニアリングの進歩によって、そうした特別な設計をせずとも、コンベンショナルな設計のままでもワンボックスの性能が向上し、ユーザーの許容範囲に収まるようになってきた。そうやってミニバンブームは本格化した。

 圧倒的な室内空間を持つミニバン隆盛の時代を横目でにらみながら、セダンはそのあり方を模索しつつ、どんどんクーペ化の道を進んだ。その尖兵となったのが2005年にデビューしたダイムラーのメルセデス・ベンツCLSである。

 欧州におけるかつてのセダンの要件は、大人4人と人数分の荷物を収容して、長距離を快適かつ高速で移動できるクルマであった。コンスタントに時速150キロ以上で飛ばすには、背の高いボディでは到底無理で、そういう運動性要件と居住空間要件のバランスポイントがセダンの形を産んでいた。そしてそれがクルマの基本形として世界に広がっていったのである。


クーペライクセダンの道を切り開いた初代メルセデスベンツCLS

1980年代の欧州セダンを代表するダイムラーのヒットモデル「メルセデスベンツEクラス」

 しかし、90年にボーダレスの時代が始まって以降、欧州では、旧東側諸国での自動車の大幅な普及に応じて、渋滞が慢性化し、同時に始まった環境意識の高まりに応じて、クルマの高速移動能力に対するプライオリティがどんどん下がっていった。

 一方で技術が向上し、高重心なミニバンのボディでもそれなりに走れるようになってきた。そうなるとミニバンでも差し支えないユーザーが増えていくのが道理である。端的な話「どうせ飛ばさないなら室内は広いほうがいい」のである。

 そうやってセダンはミニバンにシェアを奪われ、SUVにもシェアを奪われた。日本の場合、デフレを背景に軽自動車やBセグメントへのダウンサイジング移行も進んで、ミドル級以上のセダンの需要はさらに落ちてきた。しかも可処分所得が大きい層は、いっそドイツの御三家、ベンツ、BMW、アウディなどの輸入車へと流れた。まさに周り中から袋叩きのように顧客を奪われた国産セダンは衰亡の道を進んでいた。

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