東京の通勤電車は「鉄道150年」で、どう変わったのか:「守り」と「攻め」(1/4 ページ)
鉄道開業から150年。常在戦場(じょうざいせんじょう)ともいえる状況の首都圏の鉄道は、どのような「守り」と「攻め」の戦略を取ってきたのか。
押し寄せる通勤客をどうするか、一方で通勤需要を伸ばすにはどうするか――東京圏の鉄道は、この相矛盾する課題に対し、さまざまな戦略を取ってきた。
「戦略」とは、「戦」の字が入っている通り、もともと軍事関連で使われていた言葉である。現代では企業活動をはじめ、さまざまな分野で「戦略」という言葉が使われるものの、それだけ激しい競争社会になっているともいえる。
もちろん、鉄道も同様である。その中で東京圏の鉄道は、常在戦場(じょうざいせんじょう)ともいっていい状況にあった。私鉄と国鉄、私鉄同士の争い、一方で多数の通勤客。過酷な環境にどう立ち向かうかが、鉄道に課せられた使命だった。
東京は今よりもずっと小さかった
江戸から東京へと変わっていく時代、東京の都市規模は現在よりも小さかった。1878年には東京の中心部を15の「区」に分け、その中には新宿や品川は含まれていなかった。89年にはそれらが合わさって「市」となる。
72年、新橋から横浜まで鉄道が開業した時代、都市の公共交通は馬車を利用していた。大量輸送のため馬車鉄道が82年に開業し、路線網が拡大。しかしその路線網は、現在の山手線よりも小さい範囲でしかなかった。
1903年以降、複数の事業者が競合し路面電車を開業、事業者間の競争が激化した。当時は、人の多い場所に鉄道をつくることが「戦略」であり、東京で働く人たちもその地域内で暮らしていた。11年には東京市が路面電車を運営するようになり、路面電車の事業者は「バイアウト」を果たしたことになる。
現在のような通勤電車の走りは甲武鉄道によるものである。04年には飯田町(現在の飯田橋駅の近く)から中野間を電化、10分間隔で短編成による運行を行った。近距離の利用客が多いことに目をつけた甲武鉄道は、機関車による長距離列車に短い区間だけ乗客を乗せるのではなく、そのための電車をつくり、高頻度運転で利便性を高めようとした。電車運転区間はその後御茶ノ水からになる。
通勤を扱う鉄道で初めて、「攻め」の戦略に出たといえるだろう。そのころ、山手線は環状線になっているどころか、電車の運行さえ行っていない状態だった。
東京で居住者が多いエリアが拡大していくのは、23年の関東大震災がきっかけである。地盤の安定した西へと、人は移住していった。合わせて、鉄道の果たす役割も大きくなっていった。
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