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2023年は「ルノー」に注目すべき、これだけの理由鈴木ケンイチ「自動車市場を読み解く」(2/4 ページ)

2月6日、日産は「ルノー・日産・三菱自動車、提携の新たな章を開く」と発表しました。これまでルノーが日産株を43.4%、日産がルノーを15%保持していたのを、ルノーと日産がともに15%を保持することに。そんなルノーが、今年は日本市場においても大注目となります。

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ルノーの自動車メーカーとしての変遷

 ルノーの最初のクルマは、1898年に生まれました。今から125年も前のことになります。当時、21歳であったルイ・ルノーが市販の3輪自動車を改良したものでした。その最初のクルマの優れた性能が認められ、翌年、ルノ・フレール社が設立されます。これがルノーのルーツです。

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「ヴォワチュレット(小さな車)」と名付けた第1号モデル(公式Webサイトより引用)

 その後、ルノーはパリのタクシーとして大量受注を受け、急成長をとげていきます。ところが、第二次世界大戦によりパリが陥落し、ルノーはナチスドイツの圧政下に。戦後のルノーは、国有化されて再出発します。

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1920年代の「トゥインゴ」(公式Webサイトより引用)

 そこでヒット車となったのが「4CV」や「4(キャトル)」「5(サンク)」と呼ばれた小型車でした。ライバルとなったのは同じフランス車のプジョーであり、シトロエン。プジョーは、小型車も得意としましたが、もう少し大きなクルマの人気がありました。またシトロエンは革新性が売りで高級車も得意としています。

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戦後に再生したビヤンクール工場の隆盛を象徴するモデル(公式Webサイトより引用)

 それに対して、国営のルノーは、もう少し庶民寄りのイメージが強いメーカーだったのです。その後1996年に民営化されますが、筆頭株主はフランス国。そのため、今もルノー・日産・三菱自動車のアライアンスの話になると、フランス政府が重要なメンバーとして登場するわけです。

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カングーのご先祖的存在、ルノー4(公式Webサイトより引用)

 ちなみに、フランスはモータースポーツが盛んな国。世界のモータースポーツを統括するFIAも本部はパリにあります。そうしたお国柄もあって、ルノーは積極的にモータースポーツに参戦してきました。その代表例がF1です。ルノーは77年のF1デビューから、何度かの中段を挟みつつ、現在は傘下のアルピーヌF1の名称で参戦を続けています。

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