金融グループ初の女性CEO誕生の裏側 マネックス松本大からいかにしてバトンを受け取ったのか:対談企画「CEOの意志」(2/2 ページ)
6月に、女性として初めて金融グループのトップに就任したマネックスグループの清明祐子CEO。創業者でありカリスマ的な存在だった松本大氏から、どのようにグループを引き継いだのか。サクセッションの裏側に迫る。
突然のマネックス証券社長就任の打診
嶺井: コインチェックが暗号資産交換所のライセンスを取得した直後の19年4月に、マネックス証券の社長に就任されました。コインチェックの買収前から打診を受けていたのですか。
清明: いいえ、突然でした(笑)。松本から打診を受けたのは、19年3月の後半です。「4月からいいんじゃない」みたいな感じで、当時は驚きました。
嶺井: 自分がやりたいと手を挙げたことはなかったのですか。
清明: 自分がやりたいと言ったことはないし、むしろ会社の次の体制をどうつくるかを自分なりに考えて、誰がトップにふさわしいのかなどの意見を松本に言っていました。私は参謀役が得意だと思っていたんですよ。松本からも、どのように次世代を作っていくかについて相談を受けていました。
嶺井: 打診されて、その場で引き受けられたのですか。
清明: それまでは機会を頂いたら、全部引き受けていました。子会社の社長のときもグループ本体に入るときも、自信はなかったけれどもやってみないと何も始まらないと思って「頑張ってみます」と即答しました。でも、マネックス証券の社長を打診されたときは初めて、すぐに「分かりました」とは言えませんでした。M&Aや投資銀行系の仕事をずっとやってきたので、オンライン証券業のことはよく知らなかったですから。
嶺井: 投資銀行系とB2Cの証券だと、業務が全く違いますよね。
清明: 今までのように「頑張ってみます」と言えるような規模ではないし、できるとも言えない。その日は「無理ですよ」と言いました。ただ、夜になって会社を俯瞰(ふかん)的に見てみると、確かに誰かがやらなければならないと思ったのです。
松本はマネックス証券の社長をしながらコインチェックのことも見ていたのですが、松本も人間ですから限界があります。それに、社長はやりたいと思ってやれるポジションでもありません。だったら「失敗したらごめんなさい」という決意でやるしかないと思い、翌日「引き受けます」と言いました。
嶺井: そこからマネックスグループの代表執行役チーフ・オペレーティング・オフィサーなどを経て、CEOに就任されたという経緯ですね。
清明: マネックス証券の社長になってからは、全部言われた通りに引き受けました。松本の後継というよりも、自分も次世代を作っていかないと、マネックスグループは次につながっていかないといった覚悟のようなものがうっすらとできています。グループのCEOは大変ですねとよく言われますが、自分の中ではマネックス証券の社長になったタイミングが最も大きな転換点でしたね。
サクセッションで重要なのはお互いの信頼関係
嶺井: トップを任せられた理由は、どのように聞いていますか。
清明: 私自身は直接聞きませんでしたが、松本が取材などで答えているのを聞くと、「私(清明)は権限を使い切ることができる」とよく言っていますね。世の中には権限委譲をされているのに、自分で決めずに上に聞く人が多いようです。
嶺井: なぜ清明さんは権限を使い切れるのでしょうか。
清明: 33歳で子会社の社長をしたときの経験が、非常に大きかったですね。自分が決めないと会社は回りません。それに、社員の家族を守ることや、当時赤字だった会社がつぶれるのか生き残るのか、全て私次第だと感じました。逃げずに、会社を黒字にするために、コスト管理も含めて自分で決めましたね。30代でいろいろなチャンスを与えた方がいいとよくいいますが、自分の経験からもその通りだと思います。
嶺井: 振り返ってみて、サクセッションの肝はどんなことだと思いますか。
清明: お互いの信頼関係ですかね。バトンを渡す人、受け取る人双方に信頼関係があるから、お互い忖度(そんたく)もしないし、思っていることは言います。私は松本が作ってきたサービスを結構止めました。それは好きとか嫌いとかではなくて、会社にとってその方がいいと思ったからです。松本も嫌な気持ちがあったと思うのですが、理解してもらって、何も言われませんでした。
マネックス証券の社長就任時に私が松本にお願いしたのは、私を飛び越えて指示を出さないことと、人事権をもらうことの二つだけです。松本はその約束を守ってくれて、好きなようにやらせてくれました。社員のみんなも、それまでは松本から仕事が降ってきたのに、それがなくなったから、自分たちで考えて仕事を作り出すように少しずつ変わってきました。
おそらく松本は、自分の存在よりも、会社の存在の方が好きなのだと思います。私も自分がどう思われるかよりも、会社がどう発展するのか、どうすればみんながワクワクしながら仕事ができるのかを考える方が好きです。そこで同じ方を向いているので、やり方や表現の方法が違っても、信頼関係ができていると思いますね。
後編のテーマは「女性経営者はなぜ増えないのか」
以上が対談前半の内容だ。マネックスグループはカリスマ創業者である松本氏の存在が大きいと思われがちだが、時間をかけて後継者を育成し、その結果として清明氏が選ばれたことが分かる。
後編では、金融グループとして初めて女性経営者となった清明氏に、なぜ女性の経営者が増えないのか、日本の企業の問題点はどこにあるのかを聞く。
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