明治「アポロ」は子どもだけのお菓子? 「大人になったら食べなくなる」をどう脱却したのか(2/3 ページ)
明治の人気チョコレート菓子である「アポロ」。1969年の発売から、今年で55周年を迎える。誕生秘話やその後の歩みを、ブランド担当者に聞いた。
急ピッチで進められた、明治の“アポロ計画”
形が宇宙船アポロ11号からイメージして作られたと聞くと「アポロという名前も宇宙船から付けられたのでは」と思う人も多いだろう。だが、寺園さんによればそうではないという。「実はお菓子の名前として同社が『アポロ』を商標登録したのは、66年のことでした。宇宙船アポロ11号からではなく、ギリシャ神話に出てくる太陽神のアポロンが由来です」(寺園さん)。しかし、その当時は商標登録したのみで、具体的な商品の構想はなかったという。
その後、NASAが月面着陸計画を発表。その宇宙船の名前が偶然にもアポロだったことから、68年の春に商品開発をスタートした。当時の社内では、NASAの月面着陸計画にあやかり、明治のアポロ計画と呼ばれていた。月面着陸に間に合わせるため、開発自体は急ピッチで行われたという。
アポロから生まれた、人気商品とは?
実は、アポロはある人気商品の誕生に大きく関わっている。「アポロの発売から数年後は、まだまだ売れ行きが苦戦している時期でした。製造工場の生産ラインも、フル稼働できない状況が続いていたのです」(寺園さん)。休止しているアポロの製造ラインをなんとか活用できないか、新しいチョコレート菓子の試作が行われていた。
試行錯誤を繰り返す中、大阪工場の担当者がある試作品を持ってきた。その試作品とは、アポロの金型にカシューナッツをさしたもの。見た目は、きのこにそっくりだった。当時のチョコレート菓子は板チョコやチョコバーが主流だったため、きのこそっくりな見た目の試作品に対して、社内では賛否両論が出たという。
また、農作物であるカシューナッツは、形が均一ではないなどの理由から量産に向いていなかった。そこできのこの軸の部分をクラッカーで再現することに。さまざまな素材との組み合わせを試し、チョコレートとクラッカーの品質や形、製法を確立するため何百もの試作が行われ、約5年かけて1975年に誕生したのが「きのこの山」だった。
関連記事
- 27万円の「お菓子の城」が即日完売 明治が“子どもの頃の夢”を商品化したワケ
子どもの頃に憧れた「お菓子の城」を形にできる商品がある。明治が1月16日に発売した「明治 子どものころ夢に見た、お菓子でつくる大きな大きなお城キット」だ。商品化の経緯を、同社グローバルカカオ事業本部カカオマーケティング部の杉山詩織さんに聞いた。 - ファミマ、累計1億2000万食超え「生コッペパン」から新商品 しっとり×3種類の食感にこだわり
ファミリーマートは2月27日、累計販売食数1億2000万食を突破した「生コッペパン」シリーズから新商品「生しっとりパン」を発売する。新商品の投入で、好調を支えた「生コッペパン」シリーズの強化を図る。 - 大ヒットしたスポドリ「DAKARA」はなぜ麦茶に? 社内の反対を押し切った起死回生の一手とは
サントリー食品インターナショナルが発売したのが「ライフパートナーDAKARA」。人気商品に成長したダカラだったが、その後低迷。起死回生の一手として、スポーツドリンクらしからぬ転身を図った。 - 当初は不人気だった「コンソメパンチ」 カルビーの開発者が明かす、飛躍の“隠し味”
カルビーは11月13日、ロングセラー商品「ポテトチップス コンソメパンチ」が45周年を迎えることを記念した限定商品を発売する。現在では定番となったコンソメパンチだが、発売当初はなかなか売れなかったという。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.