コラム
なぜ「池袋〜新宿〜渋谷」は混んでいるのか? “郊外”だった駅が繁栄したワケ:都市の構造が変化(2/5 ページ)
平日でも混雑している山手線の西側エリア。開業時の利用者はほとんどいなかったが、なぜここまで繁栄したのだろうか。
開業日には利用者ゼロだった渋谷駅
江戸時代、江戸城周辺には武家屋敷が立ち並び、下町の範囲も決して広くはなかった。「朱引」(しゅびき:江戸の府内と府外を地図に朱を引いて分けたもの)によって江戸幕府は江戸の範囲を定め、現在の新宿、渋谷、池袋の各駅はその境界エリアにある。しかも外側だ。
明治時代に新政府ができ、江戸から東京になってもこの状況は変わらなかった。都心には人が集まり、維新の元勲や華族は広い屋敷で暮らしていたものの、多くの一般市民は狭い家で暮らしている状況であった。
東京府(当時は「都」ではなかった)の中心部では路面電車が充実してきたが、それでも都市規模の面的拡大は見られなかった。
山手線は日本鉄道品川線として1885年3月に品川〜赤羽間で開業した。このときには現在の山手線に該当する区間では渋谷駅と新宿駅しかなかった。開業日、渋谷駅を利用した人はおらず、新宿駅も数えられるほどの利用者数だったという。池袋駅は1903年4月に開業した。
都心のにぎわいとは異なり、このあたりは寂しい場所だった。そもそも日本鉄道(1881年に設立された日本初の民営鉄道会社)がここに路線を敷いた理由は、都心部からの貨物を輸送するためで、人が少ないから用地を買収しやすかったというものである。
しかしなぜ、こんなに人が少なかったエリアが、大きく繁栄することになったのか?
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