井上尚弥を“モンスター”に 大橋ボクシングジム会長に聞く「持続可能なジム経営」(1/3 ページ)
井上尚弥の代名詞“モンスター”の名付け親で、大橋ボクシングジムの大橋秀行会長に、利益が出せるジム、持続可能なジム経営の要諦を聞いた。
NTTドコモは9月3日、映像配信サービス「Lemino」で「NTTドコモ Presents Lemino BOXING ダブル世界タイトルマッチ 井上尚弥 vs TJ ドヘニー&武居由樹 vs 比嘉大吾」を独占無料生配信する。東京・有明アリーナで開催する同大会を主催するのが、井上尚弥も所属する大橋ボクシングジム(横浜市)だ。元WBA・WBC世界ミニマム級王者の大橋秀行会長が1994年に開設して創立30周年。井上尚弥も含む5人の世界チャンピオンを生みだし、今や「王者製造工場」とも呼ばれている。
NTTドコモの映像配信サービス「Lemino」は「NTTドコモ Presents Lemino BOXING ダブル世界タイトルマッチ 井上尚弥 vs TJ ドヘニー& 武居由樹 vs 比嘉大吾」を独占無料生配信(プレスリリースより)
井上尚弥の代名詞“モンスター”の名付け親も大橋会長だ。5月には、34年ぶりに東京ドームでボクシング世界戦を興行するまでにジムを成長させるなど手腕をみせた。一方で近年は、大橋会長が現役時代に所属していたヨネクラボクシングジムのほか、協栄ジム、白井・具志堅ボクシングジムが閉鎖するなどジムの経営環境は厳しさを増している。
大橋会長も、ジムの経営を安定させるまでには苦労したという。その一方で、今日のような成長をするためのしたたかな計算もあった。利益が出せるジム、持続可能なジム経営とは何か。大橋会長に話を聞いた。
大橋秀行(おおはし・ひでゆき)大橋ボクシングジム会長。1965年3月8日、横浜生まれ。横浜高2年時にインターハイ(モスキート級)優勝。専修大学中退後にヨネクラジム入り。1985年デビュー。1990年に3度目の挑戦でWBC世界ミニマム級王座を獲得。1992年WBA世界同級王座獲得。1994年に現役引退。通算成績は19勝(12KO)5敗。同年に大橋ジムを開設。八重樫東、井上尚弥など5人の世界王者を育てる。日本プロボクシングジム協会会長を務めるなど業界の発展と、後進の育成に注力
経営の安定が第一 そのために目指した「楽しいジム」とは?
大橋ジムはこれまでに5人の世界チャンピオンを生み出している。
「ジムを開いたとき(師事した故米倉健司会長が開いた)ヨネクラジムが5人チャンピオンを作ったので、それを追い抜くのが私の目標でした。追い抜くまで、あと1人です」
ジム経営の要点は、会員をいかに多く集められるかにある。損益分岐点を聞くと「100人いればなんとか運営していける」そうだ。ジムを開いた直後は、応募が殺到して150人も集まったという。当時SNSはなく、告知は今ほど、容易ではなかった。
「1993年2月の現役最後の試合から1年後の1994年2月7日に引退会見をしました。その間にいろいろな準備をして、会見時に『実は2月22日にジムを開きます』と発表しました」と、念入りな準備をしたことが実を結んだという。現在、登録者は約400人いて「業界で1番だと思います」と話す。月会費が1万2000円だというから、会費収入だけでいくらあるかは計算できるだろう。
今ボクシングジムの業界では、一般人が受けるコースの月会費が1万2000円前後と、暗黙の了解によって、ほぼ固定されているという。コロナ禍が明けた後、円安やインフレも進み、値上げを容認する風潮が生まれた。チャンピオンを5人も輩出している大橋ジムであれば、付加価値をつけて2万円にしても通いたい人はいるはずだ。筆者は、ボクシングジムの閉鎖が相次ぐ背景には、価格設定に自由度がないこともありそうだと感じる。
ボクシングジムにM&Aはないのかと聞くと「特殊な世界なので難しいのが現実ですね」と話す。市場原理と会員への選択肢という観点から考えると、業界の閉鎖性の改善は大きな課題と言えそうだ。M&Aが実現すれば、所属ジムを失う選手を救うことにもなる。
こうして開業当初の大橋会長は、価格設定の柔軟性を欠いた状況下での経営を強いられた。そこで「まず練習生をたくさん集めることに専念した」と話す。
「最初は会員の人とは友達のような感覚で付き合いました。対等な立場で飲み会もしましたね。『強くする=練習を厳しくする』わけじゃないですか。そうすると(会員が)やめていってしまうんですよ。会員を集めるためには、とにかく楽しくするしかなかったんです」
特に退会は経営に響いてしまう。大橋会長が経営者として優れていたのは、時代の変化を読み取っていたことだった。
まずは「経営の安定が第一」と割り切り、チャンピオンを育てるための厳しい練習が出来なくても、そこに葛藤は感じていなかったという。時には携帯で話をしながらサンドバッグを打っていた練習生もいたが、それも容認していた。
「やっぱりその人に合わせたコミュニケーションの取り方が大事ですね。今でも、あいさつをしない子どもに無理やりあいさつを求めることはしていません。周りの子が『こんにちは』と言っているのを見て『そういうのがかっこいいな』と思えば、自然とあいさつをし始めるのです。そういうジムの雰囲気作りを心掛けてきました」
令和の時代に入り、上司が部下を叱る光景も減っていると聞く。度を超えると退職する若手社員も出るなど、距離感に悩む管理職は多い。大橋ジムは当初から「昭和のやり方」を相手に強制していない。自ら寄り添う形を先取りしていたのだ。この考え方は、その後の「世界チャンピオン量産」につながっていく。
名刺広告販売など興行にもひと工夫
経営安定の次のステップは興行の成功だった。プロ選手も少しずつ育ち、1996年には横浜文化体育館(現横浜BUNTAI)で、「全て(C級ボクサーが闘う)4回戦」の興行を手掛けた。テレビ放送はなく、収入はチケット販売のみ。そこで大橋会長は一計を案じた。大会のパンフレットに、新聞や雑誌の新年号にある年賀の名刺広告に近い広告スペースを作り、販売したのだ。
「3万〜5万円で、100件〜200件ぐらい売りに行きました。興行時の選手の戦績は5戦5敗でしたが」と苦笑いしたが、このアイデアはうまくいった。元世界チャンピオンが自ら広告営業をするわけだから、多くの企業が広告を入れてくれたのだ。努力して世界チャンピオンになった実績がここで生きた。
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