日本でマンガが広がった背景に、どんな「仕組み」があったのか:『漫画ビジネス』(3/4 ページ)
30代以上の人にとって、マンガと言えば「紙の雑誌」「紙の単行本」を想像する人が多いと思いますが、そもそもなぜ日本でマンガがこれほど普及したのでしょうか。
漫画雑誌を起点に
1959年の「少年サンデー」「少年マガジン」創刊当初、その価格は30円でした。筆者が子ども時代、1980年頃は170円前後で、週刊少年ジャンプがギネス記録を作った1995年で、そのジャンプが190円でした。この、子どもがお小遣いで買える価格で漫画雑誌が流通したことも大きそうです。
またその雑誌に掲載した作品を、作品の話数順に再録して販売する漫画単行本も、出現当初は「誰が買うのか?」と問われるような存在ではあったのですが、後の「雑誌で宣伝、単行本で回収」という漫画業界鉄板のビジネスモデルの基礎となりました。
なお、漫画雑誌の隆盛期よりも古くから、描きおろし単行本で流通した、赤本・貸本というかたちのマンガも、その発展や、手塚治虫をはじめとした多くの漫画家が生まれることに寄与しています。
ただ本記事では、現在のマンガ流通につながることにフォーカスするという趣旨で、ここで簡単に触れるにとどめます。これも、参考図書として『マンガ産業論』を推薦いたしますので、ご興味あればそちらをご覧くださいと、繰り返しご紹介させてください。
さて、こうして漫画雑誌を起点に、多くの作品が生まれることとなりました。特に、サンデー、マガジンといった最初の週刊少年漫画雑誌、次いで少女漫画雑誌が生まれたころは、文字通り少年向けの漫画雑誌が主流で、マンガはあくまで子ども向けという位置付けでしたが、戦後の第1次ベビーブームもあいまって、その世代が成長すると、青年誌・女性誌と呼ばれる、20代以降の大人が読むマンガも増えていきました。
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