“第2のYOSHIKI”は誕生するか スタンフォード初の日本人所長に聞く、「世界に通用する日本人」を育てるには?
スタンフォード大学のショレンスタイン・アジア太平洋研究センター(APARC)の所長に9月、初の日本人教授が就任した。同大学社会学部の筒井清輝教授だ。どうすれば日本企業が、再び世界に羽ばたけるようになるのか。日本企業の強みとは? 筒井教授に聞いた。
米シリコンバレーにあるスタンフォード大学のショレンスタイン・アジア太平洋研究センター(APARC)の所長に9月、初の日本人教授が就任した。同大学社会学部の筒井清輝教授だ。筒井教授は、所長就任前から、日本の学生にスタンフォード大留学の啓発活動を続け、優秀な日本人学生とスタンフォード大との橋渡し役を務め続けてきた。
APARCは1983年に設立したアジア太平洋の研究・政策提言を手掛ける組織だ。日本や韓国など6つの地域別プログラムを持ち、研究・教育・政策提言を含めたパブリック・エンゲージメント(社会発信)の3本柱で活動している。
3つ目の柱であるパブリック・エンゲージメントでは、学生・教員・国際コミュニティ向けのイベントを企画し、地域から世界へ広く発信する。2023年2月にはX JAPANのYOSHIKIを招いたインターネット関連ビジネスのイベントを実施し、日本のスタートアップが目指すべきロールモデルとして位置づけた。
2023年2月に開催したYOSHIKIを招いた特別講演では、AIやテクノロジーについてのトークを展開した。左から在アメリカ合衆国日本大使を務めた日米協会の藤崎一郎会長、YOSHIKI氏、APARCの筒井清輝所長(以下講演の写真はプレスリリースより)
日本のコンテンツ産業を扱う催しでは、「ポケットモンスター」関係者や『週刊少年ジャンプ』編集長らを招き、韓国プログラムでは韓国俳優のイ・ビョンホンも招聘した。このように学術的な文脈を保ちながら、APARCの認知拡大と参加促進の入り口として機能させている。
こうしたイベント活動に加え、研究成果の出版や著作編集のほか、政策影響力を高めるためワシントンD.C.への発信も重視。シリコンバレーの立地を生かし、テック企業やスタートアップとの関係構築・情報発信にも注力している。2025年10月には米国の大学生などが参加した「Sushi Hackathon」も、日本のECサイト支援企業GDXと共催した。
自らシリコンバレーの地で「世界に通用する日本人」として新しい道を切り開く筒井教授は、現在の日本をどう見ているのか? 日本では「失われた30年」と呼ばれたように、経済の低迷が続いた。アカデミアを見ても米難関大の留学生数で中国に抜かれて久しい。どうすれば日本企業が、再び世界に羽ばたけるようになるのか。日本企業の強みとは? 筒井教授に聞いた。
筒井清輝 (つつい・きよてる)スタンフォード大学 ショレンスタイン・アジア太平洋研究センター(APARC)所長。スタンフォード大学社会学部 教授。京都大学文学部卒。社会学博士(スタンフォード大学)。米ミシガン大学教授、日本研究センター所長などを経て現職。東京財団政策研究所研究主幹。主著に『人権と国家』(岩波新書)
「世界に通用した日本人」 象徴としてのYOSHIKI
――筒井教授は9月に、APARCの所長に就任しました。日本人では初の快挙です。「世界に通用する日本人をどう育てるか」という点について、どうお考えですか。
私もその問題はいつも考えています。
当センターでは、X JAPANのYOSHIKIさんを招いた特別公演も2023年2月に実施しました。このイベントも、「世界に通用する日本人をどう育てるか」という問題意識から生まれたものです。
YOSHIKIさんは、世界で成功した日本人として象徴的な存在です。彼は米国で完全にゼロから挑戦し、大きな成果を収めました。ハリウッドの「TCL・チャイニーズ・シアター」で手形と足形を刻むなど、米国で公に認められています。面白かったのは、その道のりです。X JAPANとして世界進出を発表した1992年当時、日本ではすでに大成功していました。そのまま日本で穏やかに活動することもできたはずですが、あえて米国での再挑戦を選びました。
米国では当初まったく好待遇を受けず、厳しい扱いも受けながら努力を重ね、今の地位を築き上げました。その話をぜひ学生や若い起業家たちに伝えたいと思ったのです。日本である程度成功したスタートアップの創業者が「まだこれでは足りない」と感じ、外の世界へ出て挑戦しようと思うきっかけになればと考えました。
「失われた30年」と競争原理の光と影
――YOSHIKIさんは当日“Be Your Own Rock Star”(自分自身のロックスターであれ)とメッセージされましたが、米Apple創業者スティーブ・ジョブズ氏が同様にスタンフォードでスピーチした“Stay hungry, stay foolish”(貪欲であれ、そして愚かであれ)につながるメッセージですね。ただ「世界に通用した日本人」が出てきた一方で、日本からはGAFAのような企業が出てこなかったことは課題だと感じています。
日本は「失われた30年」と言われ、世界に通用するスタートアップが少なく、企業の地位も相対的に下がってきました。一方で、アニメやゲームといったコンテンツ分野では強みがあります。これはなぜかといえば、国内に非常に厳しい競争原理があるからです。例えば『週刊少年ジャンプ』では、読者アンケートの評価が悪ければすぐに連載が打ち切られます。この熾烈な競争の中でこそ、世界的なヒットが生まれているのです。
同じことがスポーツにも言えます。野球やサッカーでは、世界で通用する選手の数が僕らの世代に比べて格段に増えました。それも国内で競争とインセンティブが適切に働いているからです。そして、若い頃から世界への道筋が見えるようになり、次々とモデルになる人物が出てくる。そうすると「自分もあの人のようになりたい」と挑戦する人が増えてくるのです。
しかしスタートアップの世界では、まだそのようなモデルが十分に出ていません。1980年代、日本が世界をリードしていた頃には、ホンダやソニーといった企業が強い牽引(けんいん)力を持ち、そこに若者が夢を見て育ちました。今のスタートアップ分野には、そうした象徴的な成功体験がまだ少ないのだと思います。
米スタンフォード大学で開催した「世界のエンターテインメントとソーシャルテックの未来:グローバルに挑戦する」をテーマとした特別講演の様子。同大はYahooやGoogleの創始者など世界で最も多くの起業家を輩出している
スタンフォードで増える日本人学生
――日本企業はなぜ成功体験が少なくなってしまったのでしょうか。
IT系などでは少しずつ変化が見られますが、やはり日本国内の市場が大きいことが一つの壁ですね。国内で成功すると、それで満足してしまう傾向があります。これは、韓国との対比でよく言われます。韓国は国内市場が小さいため、最初から世界を意識せざるを得ません。日本も、世界市場に目を向けるインセンティブを、いかにして生むかが重要です。そのために政府や経済産業省も苦心していると思いますが、変化の兆しは見えてきていると思います。
若い人の意識も変わってきました。親の世代は「大企業に入るのが安定」と考えますが、本人たちは外資系で経験を積んでから起業するなど、新しい挑戦を志す人が増えています。
スタンフォード大に来る日本人学生にはそういう人が多く、その学生の数もこれからますます増えていく予感があります。一つ大きな成功事例が出ることで、後に続く人が次々と生まれていきます。例えば野球の野茂英雄選手がメジャーリーグに挑戦したことで、多くの若者がその背中を追いましたよね。イチロー選手を見て大谷翔平選手が育ったように、成功例は連鎖を生むのです。
日本企業はかつて製造業や銀行で成功した体験を重視しすぎて、その時代のモデルにとらわれてきた面があります。バブル世代から上の人たちがまさにそうでした。しかし今、その構造が変わりつつあります。高校生や大学生のうちから世界に目を向ける若者が増えています。
実際、当学でも日本人学生は着実に増えています。5年前は学部の一学年1600人中3人ほどだった日本の高校出身者が、今年は6人ほど入学しています。海外で育った日本人学生を含めると、さまざまなバックグラウンドを持つ若者が集まってきています。こうした動きは、確実に次の時代への変化の兆しだと思っています。
学部から留学する利点
――APARCとしてもその流れを後押ししているのではないでしょうか。
これは当センターの功績というよりも、全体の流れが少しずつ変わってきたという感じですね。ただ、日本に帰るたびに、米国の大学にもっと来たほうがいいという話はよくしています。学部レベルでも大学院レベルでもそうです。今年の夏も東京・高輪ゲートウェイでイベントを開いて、米国の大学進学を勧めました。新しく開発された場所で、毎年こうしたイベントを続けています。特に学部から来ることには大きな利点があります。学部から来れば、大学のコミュニティに完全に溶け込めるからです。
例えば今、日本から来ているAIの天才的な学部生がいます。彼は保立怜さんというのですが、開成高校を卒業して東京大学理科三類に進んだあと、すぐに秋からスタンフォードに来ました。今ではイーロン・マスク氏にヘッドハンティングされて、xAIでブロック開発を担当しています。
彼のような学生は、友人がシリコンバレーで起業していたり、ベンチャーキャピタルに勤める知り合いがいたり、その親がスタートアップに関わっていたりと、完全にスタンフォード大学の環境の中にいます。そうした環境に学部生から入り込めるのは大きな強みです。
もちろん、大学院から参加しても全く問題ありません。日本で基礎を固めてから来る人も多いし、それも立派な形だと思います。大事なのは、どこかの段階で外に出てみることです。特にスタンフォードのような場所に身を置くと、学べるのは先生からだけでなく、友人や周りの環境そのものからなんです。そうした人間関係や交流が何よりも貴重な財産になると思います。
――コンテンツに強い企業がある一方で、日本の多くの企業はGAFAのような巨大プラットフォームに主導権を握られています。この数十年の変化をどのように見ていますか。日本企業の良いところと、足りないところをそれぞれ挙げてください。
一番足りなかったのは、新しい挑戦だと思います。特に大企業では、その意欲が決定的に欠けていました。もちろん、バブルがはじけた後の環境を考えると仕方のない面もあります。終身雇用のもとで社員を守らなければいけない以上、どうしても保守的にならざるを得ませんでした。結果として、研究開発への投資が後回しになり、成長が停滞する負のサイクルに入ってしまったんです。
今は多くの企業がその問題を自覚し、新しい方向へ動き始めています。自社内にCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)を設けたり、スタートアップと連携したり、Googleのように新しい技術をもつ小規模企業を取り込んだりする動きも見られます。長い間できなかった挑戦が、ようやく企業文化として理解されはじめたのだと思います。これまで経営者にとっては難しい時代でしたが、今ようやく前向きな流れが出てきたと感じます。
日本企業の強みは「物語性」
――生成AIの動きについてはどう見ていますか。
AIなどの分野は既に米国が大きく先行していて、日本が今から同じプラットフォームを取るのは難しいでしょう。ただ、量子コンピューターや核融合のような新領域にはチャンスがあると思います。高輝度青色発光ダイオードの開発によりノーベル物理学賞を受賞した中村修二先生のように、既存の分野を越えて挑戦する人たちも出てきています。そうした「次の波」をつかむ動きが生まれれば、日本からも再び世界を驚かせる技術が出てくるでしょう。
一方で、日本にはサイズに合った強みがあります。それは「古いものを生かす力」です。例えば羊羹の老舗・虎屋さんは500年以上の歴史を持ちながら、常に新しい和菓子のスタイルを提案しています。伝統を守るだけでなく、時代の変化に合わせて革新を取り入れている好例です。こうした「持続と変化の融合」は、海外でも注目を集めています。
――日本企業の強みとは何なのでしょうか。
日本の魅力は、こうした長い歴史や文化が生み出すナラティブ(物語性)にあります。例えば、500年続く企業が存在するというだけで、米国の人々から見れば大きな驚きです。京都の西陣織もそうで、伝統技術を生かしてノートPCのカバーなど新しい商品を生み出す若い世代が出てきています。古いものと新しいものを組み合わせる発想が、これからの日本の武器になると思います。
今の時代、単なる「便利さ」ではなく、その背後にあるストーリーを消費する傾向が強まっています。テスラが2009年に登場したときも、ただの電気自動車ではなく、「環境に優しく、しかも速くてかっこいい車」というナラティブがあったからこそ支持を得たわけです。そうしたストーリーが、人々の共感を生み、初期のファンを育てたわけです。
日本でも同じように、技術や伝統にストーリーを重ねる動きが必要だと思います。ソニーとホンダがEVを共同開発した例のように、単なる高性能やデザインだけでなく、「日本らしいナラティブ」を融合させることで、新たな価値が生まれます。例えば『鬼滅の刃』などの文化的要素を取り入れるような発想もあるかもしれません。日本の強みである伝統やコンテンツをテクノロジーと結びつけること。そこに、次の日本企業の可能性があると感じています。
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