なぜ自治体の仕事は誤解されるのか 行政現場に潜む「情報の非対称性」の正体(1/2 ページ)
自治体の窓口をはじめ、あらゆるサービス提供の現場には、「情報の非対称性」という共通した構造が潜んでいる。今回は、この“見えない溝”が行政サービスにどのような影響を与えているのかを考えたい。
著者プロフィール:川口弘行(かわぐち・ひろゆき)
川口弘行合同会社代表社員。芝浦工業大学大学院博士(後期)課程修了。博士(工学)。2009年高知県CIO補佐官に着任して以来、省庁、地方自治体のデジタル化に関わる。
2016年、佐賀県情報企画監として在任中に開発したファイル無害化システム「サニタイザー」が全国の自治体に採用され、任期満了後に事業化、約700団体で使用されている。
2023年、公共機関の調達事務を生成型AIで支援するサービス「プロキュアテック」を開始。公共機関の調達事務をデジタル、アナログの両輪でサポートしている。
現在は、全国のいくつかの自治体のCIO補佐官、アドバイザーとして活動中。総務省地域情報化アドバイザー。公式Webサイト:川口弘行合同会社、公式X:@kawaguchi_com
こんにちは。「全国の自治体が抱える潜在的な課題を解決すべく、職員が自ら動けるような環境をデジタル技術で整備していく」ことを目指している川口弘行です。
今回は、自治体や事業者と、その利用者や顧客との間に存在する「情報の非対称性」について考えてみたいと思います。
「情報の非対称性」という言葉に、突然戸惑われた方もいるかもしれません。もともとは経済学の用語で、売り手と買い手の間における情報量や内容の偏り──すなわち、情報をより多く持つ側が取引を有利に進められる状況──を指します。
このため、取引の現場では、より質の高い情報をより多く持とうとする動機が生まれやすいのです。経済学的な視点ではありませんが、実は自治体の窓口においても、来庁者の方との間には「情報の非対称性」が存在します。
例えば、住民票の写しの取得のために役所に来た住民の方に「本籍地の記載は必要ですか? 続柄の記載は必要ですか? 個人番号の記載は必要ですか?」と尋ねても、その住民票の写しをどのような目的で取得したいのか、何を確認するために必要なのかが分からなければ答えようがないでしょう。
それどころか、住民票の写しにどのような内容が記載されていて、それが何を意味しているのか、知らない方も多いのではないでしょうか。
筆者自身もさまざまな手続きの際に自社の納税証明書を取得することがありますが、請求内容について毎回どのように申請すればよいかを忘れてしまい、窓口で確認することがほとんどで、偉そうなことは言えません。
自治体の窓口をはじめ、あらゆるサービス提供の現場には、「情報の非対称性」という共通した構造が潜んでいます。今回は、この“見えない溝”が行政サービスにどのような影響を与えているのかを考えてみたいと思います。
「住民にどう案内すればいいか」窓口職員が抱える悩み
自治体で議会が開催されていないこの時期は、自治体向けのイベントや研修会が多く開催されます。筆者も先日、自治体職員の事務能力向上をテーマとした研修会で、行政窓口の改善に関する科目を担当しました。
その中で「大勢の来庁者への応対をする中で、住民の方に対する案内方法をどうすればいいのか」に苦慮しているという事例発表がありました。デジタル技術(AIなど)を使って個別の案内をすることはできないか、という意見もありました。
つまり、このような場面では、いかにして情報の非対称性を小さくできるかが重要となります。例えば住民票の写しについても、もし全ての住民が住民記録制度について十分に理解していれば、窓口職員にとっては理想的かもしれません。しかし、実際にはそれを求めるのは難しいでしょう。
このように考えると、自治体の職員は本来「難しい仕事」や「重要な役割」を担っているにもかかわらず、その実態や苦労が十分に伝わっていないのではないかと感じます。
住民記録事務や福祉関連の事務は、住民の権利を守るための重要な基盤であり、また社会的に立場の弱い方々を支える大切な役割を担っているといえるでしょう。
また、清掃施設や上下水道など社会インフラの安定した維持も自治体の重要な役割ですが、それらは「当たり前」の存在と見なされ、意識する人は決して多くありません。
筆者は人間の根源的な善意を信じています。だからこそ、住民の皆さんとの間にある情報の非対称性を少しでも解消できれば、相互の意思疎通がよりスムーズになり、行政サービスもより円滑に進むのではないかと考えています。
しかし現実には、社会の制度や仕組みがあまりにも複雑になっており、自治体が分かりやすく伝えようと努力しても、そして住民の方が積極的に学ぼうとしても、その溝がなかなか埋まらないことにもどかしさを感じます。もちろん、仕組みの全てを理解する必要はないのですが、そこには大切な前提があることを忘れてはなりません。
自治体に求められる「信頼」の提供
例えば、インターネットの仕組みや通信プロトコルについて詳しく知らなくても、私たちは問題なくメールを送受信したり、Webページを閲覧したりできます。個々の技術的な要素全てを理解する必要はありません。それぞれの要素技術が積み重ねられ、適切にカプセル化された仕組みとして提供されていること、そしてその仕組みに対する信頼があるからこそ、利用が成り立っているのではないでしょうか。
自治体が担う「難しい仕事」や「重要な役割」も、言い換えれば「信頼」というラベルが貼られたカプセルのようなものだと思います。そのカプセルを、住民の方々ができる限り負担なく理解し、利用できる形に工夫して提供することこそ、自治体にとって大切な取り組みではないでしょうか。
もちろん、こうした努力はこれまでも続けられてきました。かつて行政機関の仕事が「お役所仕事」と批判されたのも、カプセル化された仕組みを徹底的に整理し、信頼される体制を築いてきたことの裏返しであったのかもしれません(いや、単に形式的になりすぎていたのかもしれませんが)。
近年の自治体は、それだけの取り組みをする余力が失われてきており、度重なる制度改正に対応できずに、ほころびが生じているようにも見えます。
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