土産品店、サンドイッチ店、ケーキ店……元・百貨店の転身から考える「業態転換」のヒント:後編(3/4 ページ)
流通業界が大きな転換点を迎える中、厳しい状況が続く百貨店。今回は一見すると見えにくい資産である「百貨店時代に培われた老舗の経験」を使い、変身を遂げた元・百貨店を紹介する。
戦争で崩壊→洋菓子店にシフトした「三中井」
玉屋のように「店舗で扱っていたグルメ」に特化して生き残った元・百貨店は他にもある。1945年まで大手百貨店の一角を担っていた「三中井百貨店」だ。
三中井は近江商人の中江家が滋賀県で創業した呉服店を発祥とする。1905年に大韓帝国(当時)の大邱に進出すると、日本統治が始まったのち朝鮮半島の首都・京城(現・ソウル特別市)に本拠地を移して朝鮮半島や満州、中国各地へと店舗網を拡大。日本国内にも小型店を出店するなど、一気に大手百貨店へと上り詰めた。
しかし、1945年の終戦により、三中井百貨店は店舗のほとんどを失うこととなり瓦解。中江家は郷里・滋賀県に引き上げ、1949年に菓子店として営業を再開した。1954年には彦根市中心部に現店舗の前身である洋菓子店「三中井」をオープン。百貨店時代に親しまれた井ゲタマークやロゴもそのままに、当時はまだ珍しかった「高級洋菓子店」として復活した。
現在、三中井の店舗は彦根城から歩いて数分の商店街にある。現店舗は1990年代末に新築したもので、百貨店を彷彿とさせる「三中井」の大きな看板を掲げた店内には、かつての百貨店とは打って変わって洋菓子のみが並ぶ。
「私ら(の家族)も釜山から引き揚げてきた」と話す店主に話を聞くと、今も三中井の歴史を知って遠くから来店する客が少なくないという。訪問時はちょうど夕時で、小さな店舗には彦根城帰りの観光客や仕事帰りと思われる地元客が次々と訪れていた。大手百貨店として一時代を築いた「三中井」の名前は、今後も地元に根付く老舗として生き続けるであろう。
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