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年間470万個を売った「峠の釜めし」 売上95%減の危機をどう乗り越えたのか(1/5 ページ)

創業140年の老舗・荻野屋が開発した「峠の釜めし」はピーク時には年間470万個も売れた。しかし、観光需要が大きかったがゆえに時には売り上げが95%減となった月も存在した。どのように危機を乗り越えてきたのか、取材した。

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 観光客が止まれば、売り上げも止まる。コロナ禍でその現実を突きつけられた企業の一つが、駅弁「峠の釜めし」で知られる創業140年の老舗・荻野屋(群馬県安中市)だ。


駅弁「峠の釜めし」(画像:荻野屋提供)

 2011年の東日本大震災で事業の根底を揺さぶられ、2020年のコロナ禍によって観光需要は一気に蒸発した。「売り上げが前年比で約95%減になった月もありました」――そう振り返るのは、6代目社長の高見澤志和氏だ。

 観光客に支えられてきたビジネスモデルが一瞬で揺らいだ。しかし同時に、この危機は同社にとって、自らの経営構造を見つめ直す契機にもなった。一進一退を繰り返しながら、それでも会社を続けてきた軌跡を高見澤氏に聞いた。

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 高崎と軽井沢の間に位置する群馬県安中市横川で、1885年に創業した荻野屋。信越本線の横川駅構内での弁当販売を原点とし、現存する日本最古の駅弁業者とされる。


横川駅での販売の様子。後にみねじ社長(当時)をモデルにしたテレビドラマも放映され、「峠の釜めし」は全国区に知れわたるように(画像:荻野屋提供)

 「峠の釜めし」は1950年代に誕生した。戦後復興を経て旅行ブームが始まりつつあった当時、駅弁の多くが冷たいことに着目した当時の社長・みねじ氏が、「温かいものを食べたい」という利用客の声に応えて開発。益子焼の器に盛り付けた釜めしとして商品化した。


醤油と昆布だしで炊いたコシヒカリの茶めしの上に、鶏肉や牛蒡、椎茸、筍、栗、杏子など9種類の具材を載せる。香の物は別添えに(画像:荻野屋提供)

 当時、横川駅では立ち食いそばの店が益子焼の湯呑みを使っており、そのつながりが器の選定に生きたという。

 保温性に優れた益子焼は、旅の途中でも温かさを保てる実用性と独自の存在感を商品にもたらした。旅客の口コミや有名誌での紹介などを機に人気を博し、1960年には昭和天皇にも献上されたエピソードを持つ。


「峠の釜めし」の販売風景(画像:荻野屋提供)

 その後、「峠の釜めし」をはじめとした弁当の製造・販売を柱に、観光バスを迎え入れるドライブイン事業や、高速道路サービスエリアの運営で収益を立ててきた。いずれも観光需要を基盤とした事業構成だ。こうした事業は観光客の移動を前提としており、人流が売り上げに直結する構造だった。

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