「百貨店の敗北」ではない 小売王者「イオン」躍進を支えた地場百貨店の“生存戦略”(3/3 ページ)
戦後の高度経済成長にともない消費スタイルが変化する中、多くの地場百貨店が大手スーパーを運営する小売事業者の傘下に入った。しかし、その過程は「百貨店がスーパーに負けた」という単純なものではない。
イオン系大手スーパー「カスミ」も元地場百貨店だった
2003年からイオングループとなっている大手スーパー「カスミ」も、地場百貨店を起源に持つ。同社は茨城県土浦市で1917年に「豊島百貨店」として設立。のちに店舗近くにある湖「霞ケ浦」を由来とする「霞百貨店」と改名した企業を祖とする。スーパーの「カスミ」は、もともと霞百貨店の関連会社「霞ストアー」として1961年に設立されたものだった。
スーパー事業の拡大に伴い霞ストアーは霞百貨店から独立。霞百貨店はその後、京成グループの「京成霞百貨店」(のちの土浦京成百貨店)となったものの、1989年に閉店。百貨店は70年以上の歴史に幕を下ろした。
その間、カスミは家電量販店やファミリーレストラン、コンビニエンスストアなどさまざまな事業を展開。時代に合わせて柔軟に変化し続ける中、2003年にはイオングループ入りしたものの「霞」の屋号は今も首都圏を代表する大手スーパーとして生き続けている。
現在カスミを傘下に持つイオングループの共同持株会社ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス(U. S. M. H、東京都千代田区)は、2026年3月に新業態スーパー1号店「フードスタイル三田店」を東京都港区の泉岳寺駅近くに出店した。このフードスタイル三田店の前身も、もともと大手百貨店「大丸」傘下の百貨店系スーパー「大丸ピーコック」として開業し、2013年4月にイオングループ入りした「ピーコックストア」の店舗だった。
日本において百貨店が小売業界の主役であった時代は、過去のことだと思うかもしれない。しかし、日本の小売業の覇者であり「百貨店業界の最大のライバル」ともいわれるイオングループ自身も、さまざまな百貨店が長い歴史のなかで築き上げてきた地域での信頼や人材、経験といった「百貨店ならではの資産」を取り込むことで成長を遂げてきた企業の一つだ。
現代日本における小売業の発展は「百貨店が紡いできた資産が次の時代へと受け継がれていく物語」といえるかもしれない。
【参考文献】
菊地正憲(2004):『イオン大躍進の秘密』ぱる出版.
寿屋社史編纂室(1999):『寿屋の50年』壽屋.
ジャスコ株式会社 編(2000):『ジャスコ30年史』ジャスコ.
ダイエー社史編纂室(1992):『ダイエーグループ35年の記録 − For the customers』アシーネ.
安倉良二(2013):日本の商業政策の転換による大型店の立地再編と中心市街地への影響に関する地理学的研究.早稲田大学教育科学総合学術院博士論文.
矢作 弘(1997):『都市はよみがえるか−中心市街地とまちづくり』岩波書店.
山川充夫(2000):改正大店法下での大型店舗網の再構築:ジャスコを事例として.経済地理学年報 46(2),pp.205-206.
そのほか関係各社のウェブサイト(2026年3月閲覧)
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