「百貨店の敗北」ではない 小売王者「イオン」躍進を支えた地場百貨店の“生存戦略”(2/3 ページ)
戦後の高度経済成長にともない消費スタイルが変化する中、多くの地場百貨店が大手スーパーを運営する小売事業者の傘下に入った。しかし、その過程は「百貨店がスーパーに負けた」という単純なものではない。
なぜイオンの本拠地は「千葉」なのか 背景に深い理由
事業拡大の足掛かりとして全国各地の地場百貨店を支援する一方、ジャスコ本体の経営に深く関わることになる百貨店もあった。その一つが、千葉市に本店を置いていた「扇屋」だ。
扇屋は1933年に千葉市で創業した衣料品店を起源とする地場百貨店で、高度成長期には首都圏各地に百貨店やスーパーを展開。大手百貨店「松坂屋」と提携するなどして経営規模を拡大していった。
しかし、当時全国きっての人口増加地域であった千葉県には、1960年代以降ダイエーやそごうをはじめとした大手小売業が相次ぎ進出。扇屋は、展開地域を増やしつつあったジャスコグループと提携する道を選ぶ。
ジャスコは1758年に三重県四日市市で創業した呉服系スーパー「オカダヤ」など西日本各地のスーパーを中心に設立された経緯があり、1970年代当時はまだ首都圏の店舗が少なかった。
そうした中、1976年には扇屋主導で「扇屋ジャスコ」を設立。ジャスコは扇屋のグループ化に合わせてジャスコ東京本社を設置するとともに、扇屋グループの百貨店やスーパーを総合スーパー「扇屋ジャスコ」に転換し、扇屋の経営陣はジャスコ本体の幹部に就任した。
扇屋は首都圏各地に店舗網を持っており、ジャスコグループは扇屋の地の利とノウハウを最大限に活用して首都圏各地への展開を本格化。扇屋はジャスコグループの店舗網拡大を大きく支えただけでなく、旧扇屋店舗のスクラップアンドビルドを進めることでショッピングセンター事業の礎を築いた。
1984年に開業した「扇屋ジャスコ マリンピア店」(千葉市美浜区、現・イオンマリンピア店)。扇屋ジャスコは百貨店だったノウハウを生かしてか、駅前立地でデパートとスーパーの中間のような雰囲気の店舗も少なくなかった(写真:愛須圭一郎)
こうした扇屋の貢献によって千葉県はジャスコにとって大きな地盤の一つとなり、1994年にはジャスコ自体の本社が扇屋発祥の地である千葉市に移転した。現在もイオングループの本部・本社は千葉市に置かれている。一方、扇屋ジャスコは1999年にジャスコと経営統合し、伝統ある「扇屋」の名前は消えてしまった。
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