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「○時間しか寝ていない」「ストレスで体を壊した」――自己犠牲エピソードは、なぜ若者たちに響かないのか?「キレイごとナシ」のマネジメント論(2/4 ページ)

「不幸自慢」や「犠牲アピール」がなぜ今の時代に響かないのか、そして本当にアピールすべきことは何か。

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功績と犠牲は別物だ

 苦労話には、大きく分けて2つの種類がある。

 1つは、結果や功績をアピールするものだ。「これだけ利益を出した」「こんな大きな会社と取引できるようになった」。これは、成果そのものを語る話だ。

 例えば、

 「難関大学に合格した」

 「世界的に権威あるデザインの賞を獲得した」

 このような結果が得られたら、アピールしたくなるのは当然だ。

 しかし犠牲や苦労そのものをアピールするのはどうだろう? 自分がどれだけ犠牲を払ったかの話である。冒頭の「3時間しか寝ていない」は、まさにこちらに当たる。

 この2つは、似ているようで全く違う。

 先述の例でたとえると、

 「難関大学に合格するため、1年間平均4時間睡眠で勉強した」

 「権威のあるデザインの賞をとるために、家族と離れてフランスで修業した」

 こうなるが、実際に望みが叶っていなければどうか? 

 「1年間、平均4時間睡眠で勉強したかもしれないが、結局はその大学に合格しなかったのか」

 「家族と離れてまでフランスで修業したのは凄いけど、賞は取れなかったんだ……」

 と拍子抜けするだろう。

 昭和の時代には、犠牲アピールが一種の美徳として受け入れられてきた側面がある。

 「俺が20代の頃は、毎日“午前様”だった」

 「インフルエンザにかかっていても、夜中まで仕事したもんだ」

 こんな苦労話には、聞く人の心を動かす力があった。だからこそ、多くの経営者や先輩社員が、こうした武勇伝を好んで語ってきたのだろう。

 しかし、時代が変われば、響く話も変わる。今、多くの若い世代が求めているのは、苦労の量ではなく、苦労を減らすための知恵だ。

 この価値観の変化に気付かないまま、昔ながらの武勇伝を語り続けてしまうと、意図せず周囲との溝を広げてしまうことになる。

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