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「○時間しか寝ていない」「ストレスで体を壊した」――自己犠牲エピソードは、なぜ若者たちに響かないのか?「キレイごとナシ」のマネジメント論(3/4 ページ)

「不幸自慢」や「犠牲アピール」がなぜ今の時代に響かないのか、そして本当にアピールすべきことは何か。

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犠牲アピールが響かない理由

 なぜ、犠牲のアピールは今の時代に響かないのか。その理由は、「生産性」の低い話には誰も興味がないからだ。

 生産性とは、どれだけ資本を投下して、どれだけの対価を得るか、という指標だ。投じた労力に対して、どれだけの成果を回収できるかという話である。

 つまり、犠牲のアピールばかりしていると、

 「苦労したのは分かった。それで、どれほどの成果を手に入れたのか?」

 「その犠牲に見合った対価はあったのか? なかったのなら、参考にしたくない」

 と思われるのだ。

 「この10万円のカバンを、交渉して7万円で買った」

 という話なら「すごい」「どうやって交渉したの?」と誰でも関心を持つが、

 「10万円のカバンなのに、15万円も払っちゃった」

 という話なら「それは残念でした」「なんで、15万円も払ったんですか」と呆れられる。

 多くの若い世代は、そこまで犠牲を払わなくても同じ結果を出したいと考えている。そのための工夫ややり方を知りたいと思っている。ある意味、それは健全な欲求だ。

 それなのに、会議や飲み会の席で「どれだけ苦しかったか」「どれほど辛い日々を送ったか」という話ばかり聞かされたら、どんな思いをするだろう。

犠牲アピールに共感するのは、限られた世代だ

 こうした苦労話に「すごいですね」と反応してくれるのは、40代以降だけだ。かつて自分自身も同じような苦労を経験してきたからこそ、共感が生まれる。

 「AIとかデジタルとかに頼らず、もっと現場で汗をかけ」

 と言えば賛同する仲間たちだ。

 しかし、その共感は世代を超えて広がりにくい。若い世代からは「そこまでしなくても結果は出せるはず」と、冷めた目で見られてしまう。

 最悪なのは、結果が伴っていない犠牲アピールだ。

 どれだけ成果が出たのかが分からないまま、ただ「これだけ残業した」「これだけ休日出勤した」「体調を崩した」という話だけが延々と続くケースだ。これでは、聞いている側は何を評価すればいいのか分からなくなってしまう。

 過去に、大きな不祥事に見舞われた企業の経営者が、記者会見の場で「私は寝ていないんだ」と、思わず本音を漏らしたことがあった。その心情は理解できる部分もある。しかし、この発言は世間の共感をほとんど得られなかった。求められていたのは、経営者自身の睡眠時間ではなく、問題への対応と結果だったからだ。

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