JALが「顔パス搭乗」で挑むCX革命 パスポートもスマホも出さない「立ち止まらない旅」(2/2 ページ)
JALと東京国際空港ターミナルは、国際線の乗り継ぎを含むトランジット領域で、世界初となる顔認証「ウォークスルー体験」の実証に成功した。技術の核心は、顧客の超機微データを自社や巨大ITに集中させず顧客のスマホに保持させる「デジタルアイデンティティ」(データ主権)だ。2037年「旅客2倍」に伴う空港の容量限界と人手不足を打破し、航空券から「旅全体のパス」への進化を目指すJALの次世代CX戦略に迫る。
JALが推し進めるMAR戦略 AI時代の信頼インフラ
JALが描くデジタルアイデンティティのビジョンは、空港の搭乗ゲートを通過して終わりではない。目指しているのは、フライトの枠を大きく超え、旅の目的地における全ての顧客接点をつなぐ「エコシステム」の構築だ。
この背景には、航空業界全体の巨大な潮流であるMAR戦略がある。航空会社の在り方を従来の「座席販売」(単に飛行機の座席を売るビジネス)から、旅全体の価値を最適化して提供する「リテーラー」(小売事業者)へと変革する戦略だ。
MAR戦略は3つの柱から成り立っている。1つ目が「デジタルアイデンティティ」(データ主権)、2つ目が「ONE Order」(予約から決済、付帯サービスを1つに統合管理する仕組み)、3つ目が「100% Offers & Orders」(販売高度化とともに予約を統合基盤に集約する構想)だ。今回の顔認証とウォレットの融合は、まさにこの戦略を具現化する一歩となる。
「私たちはこれまで”飛行機の座席”を売ってきましたが、空港を離れた瞬間に、座席を予約したことを証明する書類である搭乗券(ボーディングパス)はただの紙切れになっていました。しかし、これからは旅の出発地からホテル、鉄道、目的地のアクティビティーまでを1つのシームレスな体験としてつなぐ『ジャーニーパス』へと進化させていきたいと考えています」(杉原氏)
例えば、海外からの旅行客が日本のホテルに到着した際、フロントで都度パスポートの提示とコピー提出を求められる。これも旅行者にとって少なくないストレスだ。
渡邊氏は「もし、JALのフライトで本人確認が完了しているデジタル身分証をウォレットに持っていれば、ホテルのチェックインもフロントに立ち止まることなく『顔認証』で完了できるようになります。相手が必要とする検証可能な情報だけをウォレットから安全に共有すれば、コピーの手間も煩雑な書類記入も一切不要になります」と説明する。
また、このデータ主権モデルは、国内の地域活性化や行政手続きの効率化にも応用可能だ。JALは、離島路線も数多く運航している。現在、島民向けの「離島割引」を適用するには、役場が発行する紙の島民カードの提示や、係員による手作業での確認作業が必要だ。
杉原氏は「こうした地方での煩雑な紙のプロセスも、マイナンバーカードと連携した住民チェックをした上で、デジタル身分証としてスマートフォンに格納できれば、オンラインで、一瞬で検証・割引適用が完了します。ゆくゆくはデジタル身分証ウォレットをキーとし、ホテルやレンタカー、地方行政サービスを巻き込んだエコシステムとして機能させていきたいと考えています」と将来を語る。
さらに、AI技術の進化を見据えた「エージェントAI」との協調も見据えている。将来的には、個人の専属AI(AIエージェント)がユーザーに代わって「最適な旅」の提案・予約・決済を自律的に完結させる時代が到来する見込みだ。その際、航空会社などのサービス提供側にとって重要な課題となるのが「このAIは本当に本人の正当な代理人なのか?」「悪質なボットによる買い占めやなりすましではないか?」というデジタル上の本人確認(トラスト)の担保である。
ここで、暗号技術に裏付けられたデジタルアイデンティティをAIエージェントに「本人の正当な代理権証明」として持たせることで、人とAIの間、あるいはAI同士の安全な取引が初めて可能になる。データ主権を個人の手に戻す技術は、AI時代の分散型社会を動かす「信頼のインフラ」となるのだ。
一方、実用化に向けた課題は、国の機関である出入国在留管理局や税関(CIQ:Customs, Immigration, Quarantine)といった「パブリックセクター」(行政機関)との連携にある。民間だけでシステムをつなぐことはできても、国家主権に関わるイミグレーションの壁は依然として分断されている。この課題に対して、IATAは各国政府への働きかけを行っている。エア・ニュージーランドはニュージーランド政府とタッグを組み、ニュージーランド旅行者申告書(NZTD)との連携をデジタルアイデンティティで実施した。先進事例が生まれ、風穴は開きつつある。
IATAは今回の実証実験の成果を反映した「標準化仕様」を、2026年度(FY26)下期に公表する予定だ。これに伴い、2027年度(FY27)以降、モバイルウォレットを用いた実サービスを導入する航空会社がグローバルで本格化するものと見込まれている。
データ所有権を顧客の手に 「囲い込み」を捨てたエアラインが勝つ理由
従来の航空ビジネスは、自社の会員制度や独自アプリによる「顧客の囲い込み」といった形に終始しがちだった。しかし、それでは顧客に真にシームレスな旅を提供することはできない。
JALが挑むのは、自社でデータを独占するのではなく、オープンなグローバル標準と、顧客の手に所有権を戻す「データ主権」の規格に身を投じる取り組みだ。一見すると、自社データを他社と共有・手放す行為はリスクのようにも思える。だが最も安全で、信頼でき、快適な「顔パスの旅」を提供するエアラインは、最終的に世界中の旅人から選ばれ、競争優位性を確立すると考えられる。
「パスポートもスマホも出さない」ウォークスルー空港の幕開けは、航空業界のみならず、あらゆるリアル産業におけるCXと「デジタルトラスト」の未来を提示している。JALの挑戦は、これからの「旅」を変える「日本発のデジタル革新」の試金石となりそうだ。
著者情報:原田真希(はらだ・まき)
2021年MM総研入社。AI・Web3などの先進技術によって変化する社会・ビジネスや、都市におけるイノベーションエコシステムの調査・研究に従事。社会の「新たな当たり前」の創出を支援するアクセラレーションメディア「anow」を企画・運営する。
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