JALが「顔パス搭乗」で挑むCX革命 パスポートもスマホも出さない「立ち止まらない旅」(1/2 ページ)
JALと東京国際空港ターミナルは、国際線の乗り継ぎを含むトランジット領域で、世界初となる顔認証「ウォークスルー体験」の実証に成功した。技術の核心は、顧客の超機微データを自社や巨大ITに集中させず顧客のスマホに保持させる「デジタルアイデンティティ」(データ主権)だ。2037年「旅客2倍」に伴う空港の容量限界と人手不足を打破し、航空券から「旅全体のパス」への進化を目指すJALの次世代CX戦略に迫る。
「AI格差」を乗り越え自走する現場をつくる「変わる情シス 2026 夏」
ポケットの中でパスポートを探し回る焦りも、スマホ画面に搭乗券の二次元コードを表示させてゲートを通る煩わしさも必要なくなる──。
JALと東京国際空港ターミナル(TIAT)が世界で初めて実証実験に成功したのは、そんな「ウォークスルー体験」だ。羽田空港から香港を経由し、ロンドンへ行く。搭乗ゲートでも、国際線の乗り継ぎターミナルでも、歩調を緩めることなくゲートへ足を踏み出すだけで、カメラが自分を識別し、扉が開いていく。
この顧客体験(CX)を支えているのは、カメラの精度向上だけではない。Google ウォレットや独自ウォレットなどのスマホアプリ(モバイルウォレット)内に、暗号技術で保護されたデジタル身分証明書(VC:Verifiable Credentials)と顔情報を保管し、空港へ“必要なデータだけ”を直接提示する「デジタルアイデンティティ」(データ主権)の先進技術だ。
データをエアラインや巨大サーバに集中管理させるのではなく、顧客自身の手に委ねることで、世界中の空港設備や異なる航空会社間をシームレスにつなぐ「相互運用性」(インターオペラビリティ)を証明してみせた。
長年続いてきた「航空券と紙・手入力の手続き」はなぜ今、変わろうとしているのか。2037年に旅客数が現在の「2倍」へと膨れ上がるグローバルな危機感を背景に、JALの「MAR(Modern Airline Retailing、モダン・エアライン・リテーリング)戦略タスクフォース」を率いる杉原均部長と渡邊郁恵氏、荒井大輝氏にインタビューした。データ所有権の開放がもたらす日本発の「旅全体のCX革命」に迫る。
自宅で完結、空港では「何も出さない」 常識を覆すノンストップ体験
これまで、海外へ旅立つ際の手続きは「煩雑な手入力と書類提示」の連続だった。これは顧客にとってのペイン(負担)だったといえる。
航空券をインターネットで予約するたびに、パスポート番号、氏名、生年月日を何度も手入力する。フライト前日には搭乗準備(Webチェックイン)のために、予約確認メールから予約番号や日付を入力し直す。さらに空港に到着すれば、チェックインカウンターや保安検査場、搭乗ゲートで、その都度パスポートと搭乗券を提示し、行列に並ばなければならない。
そんなこれまでの常識を変えるためにJALが提示したのは、こうした手続きを全て「自宅」で完結させ、空港では「何も提示しない」というウォークスルー体験だ。
事前にスマートフォンから、デジタル証明書(パスポート情報など)と顔情報を、モバイルウォレット上で連携・登録。空港へ必要なデータを送信する。これにより、空港に一歩足を踏み入れれば、顔認証だけで搭乗ゲートから乗り継ぎ用セキュリティゲートまでをノンストップで通過できるようになる。
この顔認証による「顔パス搭乗」が普及すれば、これまで常識だった「紙と手入力の旅」が、劇的に変わることになる。
羽田・香港・ロンドンを「顔パス」で縦断 世界初、分断された空港をつなぐ
今回、JALとTIATが主催団体である国際航空運送協会(IATA)のプログラム「Data & Technology Proof of Concepts」に参画して実施した概念実証(PoC)において、世界初の快挙となったのが「乗り継ぎ」(トランジット)における顔認証連携の成功だ。
検証ルートは「羽田空港(JAL便:JL029)〜香港国際空港〜ロンドン・ヒースロー空港(ブリティッシュ・エアウェイズ便:BA032)」だった。異なる航空会社、異なる空港をまたぐ国際線の乗り継ぎルートを、たった1回の事前登録だけで、「顔パス」でシームレスに旅行できる体験を実証した形だ。
JAL MAR戦略タスクフォース部長の杉原氏は、この意義を説明する。
「これまでは成田空港、羽田空港、香港国際空港などで、それぞれの空港が独自かつ個別に顔認証システム(成田・羽田の『Face Express』や香港の『Flight Token』など)を構築していました。そのため、顧客は羽田でも顔登録をし、香港でもまた登録を求められるという、CXの分断が発生していたのです。今回の実証の画期的な点は、異なるウォレットや認証方式を使っても、共通の規格を通じて世界中の空港設備とつながる『相互運用性』を証明したことにあります」
この恩恵を最も受けるのが、マイレージ会員ではない一般旅客や訪日外国人などの「非会員客」だ。
これまでは非会員客がJALのアプリでチェックインしようとすると、確認用の予約番号や複雑な英数字の手入力を求められ、手続きに迷うケースが多発していた。だが今回の仕組みを使えば、モバイルウォレットに保存されたデジタル身分証をワンタップで共有するだけで、面倒な個人情報の入力を全てスキップできる。
「JALグループ経営ビジョン2035の中でも、生体認証技術による顧客体験のシームレス化を打ち出しています。お客さまのストレスを極限まで減らし、CXを向上させることが最大の目的です」と杉原氏は続ける。
なぜGAFAや巨大サーバに「データを預けない」のか?
今回の実証実験を技術的に支え、これまでのITシステムと一線を画す最大のコンセプトが「デジタルアイデンティティ」(データ主権/自己主権型アイデンティティ:SSI)だ。
これまで多くの企業は「自社のデータベースにできるだけ多くの顧客情報を集約すること」を、囲い込み戦略の基本としてきた。しかしパスポート番号や顔写真といった、極めて秘匿性の高い「超機微個人情報」(センシティブデータ)を一つの企業やプラットフォーマーのサーバに集中管理させるのは、サイバーセキュリティの観点からも、プライバシーの観点からも好ましくない。大規模なシステム障害やサイバー攻撃による漏洩(ろうえい)リスクが常に付きまとうからだ。
デジタルアイデンティティの有用な点は、データを企業側で抱え込むのではなく「顧客自身の手元」(モバイルウォレット)にのみ暗号化して保持させる点にある。
渡邊氏は、その仕組みを「お客さまのパスポート情報や生体情報は、JALのサーバに一切保存されません。全て、お客さま自身のスマートフォンのウォレット内に暗号化されたデジタル証明書として保持されます」と説明する。
「空港を通過する際も、お客さまが『このデータを提示する』と画面上で同意した最低限のデータ(有効期限や氏名など)だけが、その都度、暗号化されて空港システムに送信されます。データの所有権とコントロール権を、完全にお客さま自身の手元に戻すことで、強固なセキュリティと高い透明性を両立できるのです」
今回のPoCでは、Google ウォレットをはじめとする3種類のモバイルウォレットを用い、どのウォレットを使っても全く同じように相互運用できることを実証した。GAFAのような特定のITプラットフォーマーによるデータ独占を防ぎ、ユーザー主導の分散型社会を形にする「自己主権型」の実装例といえる。
杉原氏は「巨大なITプラットフォーマーに全てを委ねるのではなく、分散型のデータ主権を構築します。検証可能で信頼できる証明書をデジタル上で自ら所有・管理することは、お客さまの航空手続きの利便性を向上させるだけでなく、社会全体における『個人のトラスト(信頼性)』を高めていくことにもつながります」と力説する。
「企業がデータを奪う時代」から「顧客がデータをコントロールして利便性を買う時代」へのパラダイムシフトが起こっているのだ。
JALの危機感 2037年「旅客2倍」の壁と人手不足
JALがここまで先んじて次世代技術の開発と標準化を急ぐ背景には、単なる利便性の追求を超えた「深刻な課題」がある。
IATAの予測によれば、2037年までに世界の航空旅客数は、現在の「2倍」に膨れ上がると試算されている。だが、航空需要が倍増するからといって、空港の敷地面積を2倍に拡張することは物理的に不可能だ。さらに大きな課題として、航空業界全体を直撃している深刻な人手不足もある。チェックインカウンターのグランドスタッフや、ランプサイド(駐機場)のグランドハンドリング業務など、現場を支える人材は減少の一途をたどっている状況だ。
この「スペースの限界」と「人手不足」という二重のボトルネックを打破する解決策が、係員の手を全く介さない「ウォークスルー空港」の実現にある。
杉原氏は「このままでは空港のインフラ機能そのものに支障が出るおそれがある」と危惧する。
「数年後には、空港の現場における人手不足は、現在の比ではないほど深刻化します。限られた空港スペースの中で2倍のお客さまを破綻なくお迎えするためには、手続きを自宅で完了させて、現場では一切立ち止まらずに通れるインフラが絶対に必要です。係員を介さない手ぶら搭乗を標準化することで、人手不足をカバーしつつ空港の収容能力を限界まで引き上げる。ウォークスルー空港は、省人化とCX向上を両立する最適解なのです」
この「現場を人の手から解放する」インフラ改革は、単に空港内の混雑解消にとどまらない。これを契機として、JALは旅全体のCX向上について、さらに壮大な構想を描いている。
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