フリーソフトウェアとカトリック教義の驚くべき共通点(2/3 ページ)

» 2005年11月16日 19時33分 公開
[Marco-Fioretti,japan.linux.com]

 CePから10年後、法王ヨハネ・パウロ二世は“Laborem exercens”(「働くことについて」)という回勅を出し、人は働くことにより、自らの必要に合わせて自然を変化させるが、同時に、働くによって充足し、言わば「より人間らしく」なる、と述べた。

同胞とともに積み重ねてきた共通善をさらに増大させようと働くなら、その働きによって、人類家族全体の――世界に住むすべての人々の――受け継ぐべき財産を増やすことができる……。

キリスト教の伝統の中では、私有の権利は共通利用の権利に従属する。物質はすべての人に与えられるべきものという事実にも従属する……。

教会は常にこう教えてきた――「人は働くことによって物と社会を変化させるだけでなく、自分自身をも成長させる。多くを学び、自らの資質を磨き、自己の外へ出て、自己を超える」

 フリーソフトウェア運動のGNU宣言は、プログラミングとプログラマーのことだけを語っているのではない。そこでは、働くこと(この場合はプログラミング)を通じてよりよい人間になり、他人を助けるというビジョンも語られている。「プログラマー間の友情の基本はプログラムの共有である。……GNUは共有のモデルであり、共有という行為に参加するよう呼びかけるための旗印である。GNUは参加者に和の感覚を与える。これは、フリーでないソフトウェアを使っていては得られない感覚であり、私が対話したプログラマーの約半数にとって、お金には換えられない大きな幸せである」

 2002年になると、バチカンは上に一部引用したEiI以外にも“The Church and Internet”(「教会とインターネット」)を公表し、「教会指導者は、コンピュータ時代がもたらす力をフルに活用し、すべての人の人間的・超越的使命に奉仕しなければならない」と呼びかけている。インターネットこそ「重要な宗教的・精神的リソースに直接かつ即時にアクセスするための手段である」ことがその理由である。また、すでに1992年に出された司牧指針"Aetatis Novae"において、双方向コミュニケーションと世論が「教会のコムニオ的性格を具体的に発現させるための方法の1つ」であると認識されていたことを指摘している。カトリック教会には、「インターネット上で目に見える活動的存在になり、インターネットの発展に関する公的対話のパートナー」となることが期待され、パートナーとして「倫理的・道徳的基準という大きな問題に指針を与えることで、その発展に寄与する」ことが求められている、とも言う(EiI)。

 ファイルフォーマットについてはどうだろう。教会ファイルの格納にどのフォーマットを使うかは、ある意味、アクセスにどのプログラムを使うかにも増して重要な問題である。これから何千年も保存され、読まれつづける公式文書である。耐久性とアクセスしやすさで羊皮紙にも劣るようなフォーマットは問題外である。当然、1私企業の生死によって存在が左右されるようなフォーマットも使うべきではなかろう。

次ページ:教会への技術的提言

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ