オフショア開発が失敗する要因Magi's View(2/2 ページ)

» 2006年02月10日 11時46分 公開
[Tana-George,IT Manager's Journal]
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文化の衝突か、個性の問題か

 距離という定量化できる要因に比べると、文化の違いを物差しで計るのは難しい。文化の違いは、オフショア開発の委託先の場所次第で、小さいこともあるし、まさに文化の衝突となることもある。例えば、米国からのオフショア開発の場合なら、カナダ、オーストラリア、アイルランド、欧州などは違いが小さいが、インド、中国、パキスタンなどは大きい。時には、意思決定のプロセスやチームメンバーの行動において、国民性が要因となることもあるが、考え方や行動に違いが見られるときには、国民性というよりは、メンバーの個性に原因があることの方が多い。

 私は、さまざまな文化圏のメンバーで構成されたソフトウェア開発チームに携わった経験がある。その中で、そうした混成チームでの文化の問題に対処するためのトレーニングセミナーに参加したことがあった。そのセミナーによると、文化の違いを抑制するためには、まずその違いを認識する必要があるとのことだった。だが、そのセミナーの場合には、解決できた問題よりも、チーム内に新たに生まれた問題の方が多かった。われわれはそれまで、互いの間にある(はずの)多数の違いについて認識していなかったが、コミュニケーション上のイライラはそれまでの方が少なかったように思えた。例えば、われわれが学んだのは、東欧の人たちは、直接的に述べるより、持って回った言い方をしがちで、自分の意図を言葉やフレーズで直接的に表現するよりも言外の意味を活用するのに対し、西欧の人たちはそれとは正反対だということである。そう学んだ結果、われわれのコミュニケーションは、互いに変換を加える形のやり取りとなってしまった。すなわち、東欧の人たちはそれまでより直接的になり、西欧の人たちは、伝えたいことを言外で表現するようになったのだ。互いに、その方が相手にとって理解しやすいと思ってのことである。こうして、東欧の人たちは率直になったのに対し、西欧の人たちは、東欧の人たちを相手にしているからということで、持って回った言い方を探すようになった。そして、西欧の人たちから発せられた言葉を東欧の人たちが受け取るときには、西欧の人たちが回りくどい言い方をするようになったからということで、解釈を加えた上で受け取るようになった。その結果、西欧の人たちがもともと伝えようとしていたのとはかなり意味が違うメッセージが、東欧の人たちに届くことになった。当然ながら、両者の間の理解度は大幅に低下した。少なくとも、セミナーの内容を意識している間はそうだった。しばらくすると、幸か不幸か、まるでそのセミナーはなかったかのように、他国の人とのコミュニケーションは、以前と同様に行われる形に戻った。

 そのセミナーでは、国民性の違いを強調していたものの、行動や思考様式を決める上ではその人の個性や環境も重要な役割を果たすという点についても明確に指摘していた。例えば、あるプログラミングタスクを解決するときに、リスクは大きいが斬新な手法を用いるかどうかについて、われわれのチームの意見は割れた。各人の意見を、国籍ごとに見てみると、各手法について支持する人と反対する人の数は、おおむね同じくらいであった。

 私自身の経験から言うと、オフショア開発プロジェクト(特に近隣諸国でのプロジェクト)の失敗の原因は、文化の衝突よりも、管理の不手際や個人の資質の欠如による部分の方が大きかった。また、チームの各メンバーが検閲なしで自由に発言や行動を行うときには、国籍が異なる場合でも、きわめてよく似た言動を示す。これも、プロジェクトが失敗する原因の中で国民性の違いが占める度合いは比較的小さいという仮説の裏打ちとなる。

 だが、オフショア開発のプロセスを成功に導くためには、「あの人たちvsわたしたち」という衝突は回避させる必要がある。そうした衝突があると、国籍の違いによって、一部のメンバーたちがチームのほかのメンバーから分離してしまうことになる。貢献してもらうべき人たちが、個人的信念と国籍によるグループの狭間で無力になってしまう可能性があるのだ。

 国民性の問題に関連する、興味深い事例として挙げられるのが、他国へ移住した人たちが、出身国のオフショア開発に参加するというケースである。こうした人は、ある程度は有利な状況にあるが、その一方で、まったくの外国人の場合にはないような困難にも直面する。出身国のオフショア開発に参加するメリットは、なじみのある場所や文化に帰ることができるという点だ。また、出身国の人がどんな言動をするかはある程度予測がつくし、例え外国生活が数十年に及ぶ場合でも、もともとの出身国の国民性は残っているので、コミュニケーションが図りやすい。

 一方、自分の出身国に戻ったときに、その国の人たちが自分のことを同国人ではなく外国人と見ているという奇妙な感覚にとらわれるかもしれない。利益を生み出す目的で出身国に戻っているわけなので、ある程度はやっかみや妬みの目で見られることも予想される。外国へ金儲けに行って、今度は出身国の仲間から搾取するために帰って来た奴、という目で見られるのだ。

 文化全般に関する問題に加えて、ビジネスに固有の違いも埋める必要がある。例えば会議や事務手続きなどだ。多くの企業では、長々とした会議が日課になっている。これは、米国人、英国人、ドイツ人たちは受け入れてくれるが、東欧や南米の人たちの大多数は、時間の無駄としてとらえる。事務手続きに対する見方も同様だ。

 国民性の中で見られるそのほかの違いとしては、コミュニケーションに対する姿勢もある。オフショア開発のパートナーの口数が少ないことや、自分の考えを発言しないことがある。こちらからあえて意見を求めた場合であってもだ。多くの場合、その理由は言葉の壁である。人によっては、英語を流暢に扱えるという触れ込みでも、実は読み聞きした内容を最低限理解できる基本的な技能しか持ち合わせておらず、きちんとしたコミュニケーションは行えないこともある。そうした人は、内気や無能に見えることもあるが、実は、英語を身に付けるための支援を強化する必要があるのかもしれない。

 オフショア開発のパートナーがうまくコミュニケーションを図れない理由が、出しゃばらずに従順であることや、問題について文句を言わないことを是とするような文化に染まっているからという場合もある。また、文化圏によっては、「上司の言うことは絶対」という姿勢が見られることもある。こうした人は、従順というよりは卑屈に見え、既に発生した問題についても、何も言わないため、異議がないものとみなされることもある。その時点で問題を言ってもらえればあっさり解決できたのに、後から言われたのでは、解決が厄介になるばかりか、そもそも解決が不可能になってしまうこともある。

オフショア開発の管理

 オフショア開発のプロジェクトをきちんと管理するためにはスキルが必要なのは確かだが、管理のまずさには国民性の違いはない。無能な管理者は、どんな環境でも無能なのだ。唯一の違いは、失敗に達するまでの時間である。また、多くの企業では、できの悪い管理者にオフショア開発を担当させる傾向がある。自国で役に立たない人間を追いやるには手っ取り早い方法かもしれないが、その場合、オフショア開発プロジェクトが出だしから茨の道となってしまう。できの悪い管理者を海外に送る以外に選択肢がない場合には、広範なトレーニングを行い、オンショアからの制御を強化することで失敗のリスクを軽減できる。

 つまるところ、オフショア開発プロジェクトには、文化の違いなど、管理者が認識しておくべき特別な面がある。だが、有能な管理者なら、問題点にきちんと対処できる。オフショア開発の管理についてのコースを開設している企業や大学はたくさんある。オフショア開発プロジェクトを考えている場合には、海外の管理者も含め、予定される管理者にオフショア開発の管理のトレーニングコースを受けさせれば、その見返りは十分に得られるだろう。そうすれば、他社が犯した失敗を回避できる可能性がある。

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