盛り上がるCGM 「表現」に問題あり?「表現の時代」における手段と目的 第1回

情報社会の中で最も変化する部分と考えられているのは、CGM(Consumer Generated Media)つまり「生活者自身による情報発信」である。そこにブログやSNSなどの新しいツールが生まれ、注目を集めている。それは、従来のメディア産業などに構造変化を引き起こすと考えられている。そこで、その情報発信の本質である「表現」の問題が重要視されるようになった。人間は、インターネットを使って「表現する」のではなく「アイデアを発信し、他人と共有する」のである。そのために、「自分自身の力でアイデアを創造し、表現する」必要がある。

» 2006年06月20日 08時00分 公開
[成川泰教(NEC総研),アイティセレクト]

 米国のインターネット事業者からさまざまな「超能力」を授かった生活者(6月12日の記事「ソフトウェアサービスは人間に超能力をもたらした」を参照)の側に視点を移すと、情報社会を生きていく中で、従来と最も大きく変化するところと期待されているのは、「生活者自身による情報発信」と考えられる。そこで、その情報発信の本質である「表現」の問題について考えてみたい。

注目集めるCGM

 生活者が発信する商品レビューやオピニオンなどを総称する「CGM」という領域が現在、爆発的に拡大を続けている。最近よく目にするキーワード「Web2.0」においても、生活者自身が世界に開かれた情報発信手段を活用することが、新しい変化を推進する中核的役割を担うものと位置付けられている。

 そもそも、インターネットが普及し始めた1999年ごろから、一般個人が続々と自身のウェブサイトを立ち上げる傾向はあった。その数は増え続け、インターネットならではのコンテンツとして特徴的なポジションを確立したのは、何も最近のことではない。

 生活者のウェブサイト視聴において、そうした個人ホームページが、検索やニュース、ショッピング、オークションなどの人気コンテンツに匹敵するアクセスを集めていることは、日本の特徴である。

 実際、ドメイン別に集計されたウェブサイトへのアクセスランキングを詳細に見てみると、上位を占める有名プロバイダー各社(事業者)のドメインでは、ヤフーなど一部を除いて、事業者自身が提供するホームページよりも、事業者が運営する個人サイトへのアクセスの方がはるかに多い。

 そこに登場したブログやSNSなどの新しいツールは、個人の情報発信をさらに容易にすると同時に、それらの配信、検索、共有、集成など活用フェーズでの生産性を、従来のものから飛躍的に向上させるものとして、広く注目を集めているのは周知の通りである。

 日本でも、ブログへのアクセス者数は過去1年間でほぼ2倍に増加し、自らブログを運営する人の数も増え続けている。また、国内最大のSNSサービス「mixi」(ミクシィ)の会員数は3月、300万人を突破した。

 こうした動向は、従来のメディア産業の構造変化、そして広告などのビジネスモデルの変化を促し、企業のマーケティングスタイルにも大きな変革を引き起こす――というのが、最近主流となっている考え方である。

ブログは表現手段ではなく伝える手段

 話題の書籍『ウェブ進化論』の中で著者の梅田望夫氏は、こうした社会状況を「総表現社会」と定義している。情報社会において人間は、文章、写真、会話、音楽、動画といった表現手段の全てにおいて、インターネットとコンピュータをベースにした、新たな情報の伝達手段を手に入れていくことになるだろう。現時点でのブログは、主に文章、すなわち言葉による情報伝達として、そうした社会への序章になるというわけである。

 ここで明確に区別しておかなければいけないのは、「表現」と「伝達」は異なるということだ。現在のインターネットは、大きく分けてコンピュータとネットワークから成るシステムである。なかでもWeb2.0といわれるようになった昨今、特にコンピュータとその上で動くアプリケーションソフトウェアの役割は急激に拡大している。

 しかし、インターネットはあくまでも伝達の手段である。

 表現の手段とは言葉や画像、音といったものであり、それぞれを生み出す道具(ペン、ワープロ、カメラ、楽器など)が、それを補助する道具ということだろう。その意味で、インターネットにつながったコンピュータ上で動くアプリケーションであるブログについては、微妙なところではあるが、あくまでも伝達の手段であって表現の手段ではないととらえておきたい。

 ブログ――主に文章による表現データ――を、RSSを用いて配信するシステムと解釈すれば、同じ技術をほかの表現手段に応用したものが、ポッドキャスティング(音声や音楽)やビデオキャスティング(映像)、写真共有サービスということになるわけだ。

 なぜそんなことにこだわるのかといえば、インターネットやそのアプリケーションがここまで進化した現在、情報社会のこれからを考えるのに、その表現の問題が確実に重要性を高めているからである。

 そしてこの問題の本質が、インターネットなどの情報技術――それも、やや古い言い方をすれば「機械系」ではなく「人間系」にあるもの――に深く根差しているものだということは、意外に見過ごされがちである。

 つまり、「インターネットを使って表現する」というのは厳密には間違った考え方であって、「インターネットを使って自分のアイデアを発信し、他人と共有する」というのが正しい。そして、それを実行するためには、人間は自分自身の力でそのアイデアを創造し、表現することが必要になる。

 情報を得る手段、そして伝える手段は、飛躍的に進化し、普及しているのである。(「月刊アイティセレクト」掲載中の好評連載「新世紀情報社会の春秋 第二回」より。ウェブ用に再編集した)。

成川泰教(なりかわ・やすのり)

株式会社NEC総研 調査グループチーフアナリスト

1964年和歌山県生まれ。88年NEC入社。経営企画部門を中心にさまざまな業務に従事し、2004年より現職。デバイスからソフトウェア、サービスに至る幅広いIT市場動向の分析を手がけている。趣味は音楽、インターネット、散歩。


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