YLUG、横浜Linuxユーザーグループ*は、1999年に発足し2007年のいまもなお活発に活動を続けているコミュニティーの1つだ(図2)。YLUGでは、カーネル読書会という勉強会と宴会がセットになったイベントが人気で、コアなLinuxの技術やオープンソース技術の情報交換などが積極的に行われている。カーネル読書会を主宰されている吉岡弘隆氏(ミラクル・リナックスCTO)にお話をお聞きした。
―― YLUGやカーネル読書会の沿革をお願いします。
吉岡 YLUGの沿革についてですが、ホームページがありまして、そこに年表が載っています。これによると、「1999年1月15日、LSWG新年会にて、YLUGの初期メンバーが確定しました」とありますね。Linux Seminar Working Groupという別のイベントの飲み会の席でそういう話が出たのがきっかけのようです。あのころはちょうどLinuxブームで、全国に同じようなユーザー会ができていたころです。YLUGもその流れでできたものです。
―― 吉岡さんは起ち上げ時にいらしたんですか?
吉岡 いえ、わたしは少ししてから参加しました。ただ、読書会自体はかなり初期からやっていました。年表によると、1999年の4月28日に「第1回カーネル読書会」とあります。
―― カーネル読書会を始められたきっかけは何だったんですか?
吉岡 「カーネルのソースコードを読んでみると面白いかな?」ぐらいの、気軽な気持ちでしたね。まぁ読書会といっても、1行1行読むというように真面目にやるわけでもなくて、実際にはLinuxにまつわるいろいろな話や情報交換が主ですね。最近では、Ottawa Linux Symposiumの報告であるとか、独NovellでSUSE LINUXを開発されている方に現場の雰囲気をリポートしてもらったりだとか、そういうことをしています。基本的に、当事者が自分のやっていることを発表するスタイルで、裏話なども聞けて面白いですよ。
―― どれくらいの人数が集まるんですか?
吉岡 参加者は30〜50人くらいです。たいていは開催の2〜3日前にメーリングリストでアナウンスし、参加希望を募ります。あまり早くにアナウンスすると、人が集まりすぎて会場があふれてしまうというのもあって、こういう形態で募集することが多いです。時間は、参加者が集まりやすい19〜20時ごろにセミナーをして、その後宴会というコースです。
―― 参加されている方はどういう人が多いのでしょう? やはり常連さんが中心ですか?
吉岡 常連は確かに多いですが、新しい人も来られます。基本的には新規参入がないと活性化しないので、新しい人に入ってきてもらえるよう、いろんなことをやっています。例えばOpen Source Conferenceといった大きなイベントで出張読書会というのをやったり、ほかのグループと合同でイベントを開いて他流試合のようなことをしたり。
―― なるほど。確かに最近は、どんな組織でも新陳代謝が重要という意見を見かけることがあります。しかし、お話をお聞きしていると、吉岡さんはだいぶ積極的に活動されていますが、ご自身のモチベーションはどこからやってくるのですか?
吉岡 楽しければ続くし、つらければ続かないですよね。あとはそういうイベントに参加することで勉強になりますし、情報交換をするのは知的好奇心を刺激します。わたしは昔シリコンバレーにいて、Silicon Valley Linux User Group(SVLUG)というのに入っていたんです。当時は突然オープンソースというものが現れた時期でして、何とも言えない熱気を持っていたんですね。それで、1999年ごろ日本に帰ってきて、SVLUGのように人材交流の場所があればいいなと思っていました。
―― シリコンバレーではずいぶん刺激を受けられたでしょうね。日本のエンジニアと米国のエンジニアでは何か違いはありますか?
吉岡 これは過度の一般化かもしれませんが、米国の技術者は、技術に対して忠誠心を持っているように思います。自分の持つ専門性に対して真面目というか、こだわりを持っているというか。日本の技術者は、会社に就職して、会社への忠誠心は持っているかもしれないですが、自分の技術に対する忠誠心のようなものが必ずしも高くない気がして、それがある種、日本の国際競争力を阻害しているんじゃないかと思うんです。
例えば日本でも、漫画家はずっと漫画家です。文学者は死ぬまで文学者で。また、スポーツ選手も引退するまでずっと、スポーツというものに対して自分の能力をピークで維持するわけです。でも日本のプログラマーは違う。日本では、会社がプログラマーにそういうものを求めていないですし、エンジニアの方も自分の専門性に対する自覚がないんじゃないかと。
一方で、米国のエンジニア、プロフェッショナルと呼ばれる人たちは、自分の専門性を極めるために、会社とは違う何かに、ある種属しているところがあるんですよ。で、そこを高めることによって、実は自分の価値を高めることにもなるし、会社にとっても優秀な人材を抱えることで価値が高まるわけです。そういうメカニズムが働かないと、少くともソフトウェアのような競争力の激しい分野では、国際競争力を維持できないと思います。
わたしは、プログラマーとしての専門性を高めて食べていければいいなと思っていましたので、それでカーネルやLinuxといったものでいろんな人と交流して勉強してみたいなと思っていたんです。だから、カーネル自体は自分の仕事と直接関係がなかったんですが、自分の専門性を高める部分で役立つんじゃないかと考えてコミュニティー活動をやってきました。
―― 吉岡さんはご自身の日記*に「47歳ではじめてカーネルコミュニティーにデビューしたぞ」と書かれていましたよね。
吉岡 そうですね。やろうと思えばやれるということを示せたと思います。Linuxカーネルにパッチを送るというと、難しそうで尻込みしがちです。でも、難しくてもやってみる。何でもいいからやる。そして、やってみると、案外うまくいくかもしれない。Linuxカーネルに限らず、何かを変えるというのは思ってるより難しくないですよ。そういうことをできる人が増えてくれば、最もっと世の中面白くなってくると思うんです。
本記事は、オープンソースマガジン2005年12月号「オープンソースで行こう!」を再構成したものです。
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