グーグル、アマゾンと同じ(!?) 蘇生を試みるライブドアの姿――CGMを中核に、法人事業の強化も忘れず(1/3 ページ)

事業会社として生まれ変わったライブドアの経営体制は、かつてのように若返った。ただ、以前と違うのは、持ち株会社の存在が常ににらみをきかせていること。そんな“新生”ライブドアは、自社のモデルを米国のグーグルやアマゾンのようになぞらえ、改めて「宣戦布告」したCGM市場では優位に立つと自信をみなぎらせる――。

» 2007年04月03日 07時35分 公開
[津田聡一朗,ITmedia]

「平松親父」が「息子たち」ににらみをきかす!?

 「私は今年61歳になるが、考えてみると60歳という歳が最も勉強した歳で、最も成長した歳でもある。その師匠、先生はみんな社内にいた…<中略>…いろいろなことがあったが、一番びっくりしたのは、その彼らが新しい社名を決めるとき、『どうしてもライブドアという名前でいく』と聞いたことだ」――4月2日に開かれた、ライブドアの新経営体制発表の会見の場で、ライブドアホールディングス(ライブドアH)代表取締役社長に就いた平松庚三(こうぞう)氏はこう語った。「彼ら」を代表するのは、会見の際に平松氏の左手に並んだ3人、ライブドアH上級執行役員経営企画管理部長の落合紀貴氏、ライブドア代表取締役社長の出澤剛(いでざわ・たけし)氏、同代表取締役副社長の照井知基氏である。

記者の質問に聞き入る――右から照井知基氏、出澤剛氏、落合紀貴氏、そして3人の息子を見守るように並ぶ平松庚三氏

 プロフィールによると、3人はそれぞれ1974、1973、1972年生まれ。旧ライブドアの元代表取締役社長、堀江貴文氏(1972年生まれ)と同世代だ。3人とも旧ライブドア出身で、堀江氏が社長時代に執行役員(それぞれ経営企画管理部長、メディア事業部長、ネットワーク事業部長)に就任している。出澤氏と照井氏は旧オン・ザ・エッジ時代からの生え抜きである。持ち株会社化で生まれ変わりを強くアピールする「ライブドア」だが、インターネット事業を中核に据えて原点回帰を模索する、新しいライブドア自身の経営の実務は、多少なりとも有能な若手に「戻された」という印象を受けた。

 ただ、会見を見る限り、その若い力が――旧ライブドアの経営が暴走したものとすれば――勢い余って道を外すようなことになるかもしれないという心配は、ほとんど感じなかった。3人とも、記者会見慣れしているとは思えないものの、堂々とした対応で会見を終えた。出澤氏の場合は30分余りの間、ライブドアの事業説明をそつなくこなし、落合氏も照井氏も、記者陣からの質問に対して冷静に受け答えしていた。

 もしかするとそれは、「平松という親父」が、組織的にも「にらみ」をきかせることになったからなのだろうか。

 「今のライブドアにないものは唯一、クレディビリティ(信用性)」と、平松氏はたびたび口にする。その信用回復に全力で務めようとする平松氏の姿を時折、目にすることがある。インターネットの事業を進める力は、若い実力者は十分兼ね備えている。ただ、大局的な見地から是非を判断し、軌道修正をするには、いささか経験が浅い。その「補完」業務に力を注ごうとする平松氏の姿勢が、新しい経営体制の布陣に反映されているようである。

平松庚三氏

 「持ち株会社化した理由は、持ち株会社(経営)と事業の機能を分けることにより、経営の効率化を図るため」と、落合氏は説明した。ライブドアHには、従来のコンプライアンス強化委員会に加え、ガバナンス委員会が新設されている。年配の取締役(2006年12月22日に旧ライブドアの社外取締役に就任した4人と平松氏の計5人)も依然として目を光らせている。事業推進の旗振り役は現場の若い実力者に委ね、「欠落したクレディビリティ(信用性)の回復」に務める平松氏が彼らの行動を監視するといった構図が、組織的に組み上がったということだろう。落合氏が「われわれは技術を中心にした、非常に競争力のある、たくさんのチャンスを持っている会社。事業会社はひたすら事業に特化し、持ち株会社がそれを束ねていく」と言及した背景が、見え隠れしたようでもある。

 持ち株会社化により、ライブドアの事業ドメインはインターネット事業に絞られた。本来の姿に戻った、といっていいかもしれない。その事業戦略を、出澤氏の言葉をつないで垣間見ることにする。

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