「『安きに居りて危うきを思う』ことこそが大切」片田教授セッションRSA Conference Japan 2007 REPORT(1/2 ページ)

4月26日、「RSA Conference Japan 2007」のマネージメントトラックで、群馬大学工学部建設工学科教授の片田敏孝氏は、「人はなぜ危機に備えないのか 〜災害に備えない人の心理を探る〜」と題した講演を行った。

» 2007年04月30日 16時59分 公開
[岡田靖,ITmedia]

 防災、特に災害時の避難行動を主に研究している片田氏。今回の講演は、避難する/しないを左右する人間の心理を中心に語られた。その心理は、セキュリティにおいてもヒントになるという。

 「たとえ命に関わるような事態が起こる可能性があっても、人はその危機に備えようとしない。被害に遭っても命の危機にはさらされないセキュリティ対策にユーザーが備えるはずがない。――なぜ、人は危機に備えようとしないのか?」

片田教授 群馬大学工学部建設工学科 片田敏孝教授

 2004年のスマトラ島沖地震では、インド洋を大きな津波が駆け抜け、沿岸各国に大きな被害をもたらした。片田氏は、その直後にインド東岸を訪れ、被害状況の調査を行っている。

 「最下層の人々が集まって暮らしていた海岸では、バラックがすべて押し流され、細い柱だけがそこかしこに立ち並んでいるばかり。海沿いの橋には押し流されてきた数多くの船がひっかかり、積み上がっている。その中には、まだ多くの遺体が残されているらしく、あたりに死臭が漂う。生き残った住民に聞き取り調査を行うのが目的だったので、勇気を振り絞って聞いてみた。海岸に呆然と座り込む年老いた女性は、『海がなにもかも持っていってしまった』と言ったきり、黙り込んで涙ぐむ。幼い子供を失った母親は『あの子に腹一杯食べさせてあげられなかった』と悔やむばかり。被災地には常に人の悲しむ姿がある。無惨な遺体は何度も見ていれば慣れてくるが、人々の悲しみには、何度見ても慣れることはない。こいう悲しみを繰り返させないようにするのが、私の仕事」

津波常襲地域なのに逃げない人々の心理

 片田氏が自らの研究内容として紹介したのは、地震後の津波からの避難行動だ。

 東海・東南海・南海地震など、海溝型大地震はしばしば津波を伴うが、地震発生をトリガーとした適切かつ迅速な避難行動でかなりの被害を防げることが分かっている。また、避難するタイミングが限られるだけに、避難する/しないの意思決定や実際の行動を把握しやすく、うってつけの研究対象と言える。

 日本でも、太平洋に面した広い地域で、過去に津波による大きな被害があり、数多くの教訓も伝えられている。それなのに、避難する人は驚くほど少ないと片田氏は言う。以下、2つの実例を紹介する。

 「2006年11月15日と2007年1月13日の2回、千島列島沖で地震が発生しました。日本では北海道のオホーツク海沿岸と太平洋岸に津波警報が発令され、沿岸各地には避難勧告等が出されたが、結果として大きな津波はなく、被害も生じなかった。このときの避難率は、1回目が13.2%、2回目が6.6%。オホーツク海沿岸では過去に津波警報が発令されたことがなく、初の津波警報となった1回目、その地域では比較的高い避難率となった。しかし何もなかった。そして2回目、人々はほとんど避難することがなかった。『前回も大丈夫だったから』です」

 すでに過去に何度となく津波警報が出て、住民が慣れてしまっている太平洋岸では、最初から避難率は低かった。それに対し、初の警報が出たオホーツク海沿岸では、自治体によっては40%近くの住民が避難したところもあるという。しかし2回目は、もう太平洋岸と大差ない避難率にまで落ち込んだ。いわゆる「オオカミ少年効果」だ。

「わかっちゃいるけど……」

 次は、2003年5月26日の宮城県沖での地震。三陸海岸は大きな津波が繰り返し襲ってくる「津波常襲地域」。しかも深く狭い入り江が多く、津波のエネルギーが入り江の奥の集落に集中しやすいことから、集落がほぼ全滅するような被害も過去に何度となく繰り返されてきた。「津波てんでんこ」(津波が来たら家族バラバラに散って避難し、一家全滅を避ける)など、教訓を伝える言葉もある。

 この地震では津波は発生しなかったが、地震直後、片田氏らは気仙沼市を訪れ、気仙沼湾一帯の住民を対象として避難状況やその際の心理を調査した。

 避難したのは、全体のわずか1.7%だったという。

 「1896年の明治三陸沖地震津波では、スマトラ沖地震津波の被災地と同じような惨状が三陸海岸一帯に見られました。あまりの死者の多さに、遺体にかぶせる筵まで不足したというくらいです。その後も1933年に昭和三陸沖地震津波、1960年にはチリ沖地震に伴う津波にも襲われている地域です。当然、海岸には防潮堤も整備されています。もっとも、チリ沖地震での津波を教訓として作られたので中途半端な高さですが。また、防災マップも整備され、地域では防災の講演会も頻繁に行われています。そんな気仙沼でさえ、この結果です」

 片田氏は、住民の意識をまとめた2つのスライドを示した。

2003年宮城県沖地震の際の気仙沼湾沿岸住民の心理

 大半の住民は津波が来る可能性を意識している。しかし、「仮に津波が来ても自分は被害に遭わない」という考えも目立った。これが、避難行動に至らなかった大きな理由と言えそうだ。この意識を、片田氏は次のように説明している。

 「『正常化の偏見』という言葉があります。危険が迫っても、『自分は大丈夫』と考えてしまうのです。例えば、災害経験のない人に、大きな地震が起きた後の行動をイメージしてもらうと、まず机の下に隠れ、次いで避難場所に移動し、さらには救助活動をしたりと考えます。が、自分が瓦礫の下にいて救助される側になることは、あまりイメージしません」

 「正常化の偏見」の例は他にもいろいろある。

 例えば、同じ確率を示しても、それが「交通事故で死ぬ確率」についての数字なら「自分はない」と認識し、「宝クジに当たる確率」であれば「ある」と思えてしまう。また、津波警報に接しても、最初の警報だけでは動き出さない。同じことを意味する2つ目の情報が入らないと動こうとしない。これも同じく「正常化の偏見」だ。

 そして、さらにそれを裏付けるのが「認知的不協和」だ。逃げていない自分を正当化する理由を探してしまう。「わかっちゃいるけど……」というわけである。

 「こういった性質は、人間の本性のようなもの」と片田氏は言う。過去の怖い体験を思い出してしまって怯えたり、嫌な体験を思い出して今後のリスクを意識してしまって動けなくなったりするよりは、心穏やかに暮らしていたいというわけだ。しかし、その性質が、災害時の迅速な、あるいは的確な意思決定を妨げる。

 「避難しなかった人は、避難しない意思決定をしているわけではない。避難する意思決定をしていないだけ。結果的に、避難していない事実が残る。同様に、『セキュリティ対策をしない』と意思決定しているわけではない。『セキュリティ対策をする』という意思決定をしていないだけ。最後の一歩を踏み出せなかったのです。こうした性質を踏まえた上でどうするか、それが津波防災の課題と言えるでしょう」

 「○○しないことを選択した」であっても、「○○することを選択しなかった」でも、行動を起こさなかったという結果は一緒だ。しかし、この違いは、行動を起こさせたい側にとって、非常に大きな違いと言える。

 では、この違いを踏まえた防災教育は、どのような形で行われるのか。

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