特定の地域に限って考えれば、災害はそう頻繁に起きるものではない。海溝型地震とそれに伴う津波災害も、さほど頻繁に襲ってくるというわけではない。しかし、いつかは確実にやってくる。例えば東海・東南海・南海地震の震源域では、100年強のサイクルで大地震が繰り返されてきたことが分かっている。
「『本当に津波が来たら、そのときに避難すればいい』そう思っている人が、本当に避難できるのだろうか」と片田氏は疑問を呈する。
実際、津波警報が出ても、被害を生じるほどの津波が押し寄せてくることは少ない。津波警報の性質上、これは致し方ないことだ。千島列島沖地震に伴う津波警報では、2つの警報が出て、それが結果として「外れ」だった。次に同じような警報が出たとき、果たして住民は避難するだろうか。それこそ「オオカミ少年」の末路を辿るのではないか。「オオカミが来る」と嘘をつき続けてきた少年は、本当にオオカミに襲われたとき、誰にも助けてもらえなかった。
「避難しなかったけど大丈夫だったとう経験が繰り返され、人は警報に接しても避難しなくなる。そして最後の一回だけ、『逃げておけばよかった……』と思うのです」
この状況から抜け出すには、「何もなかったけど逃げておいてよかった」という考えを持てるようにしなくてはならないと片田氏は言う。
「そして本当に津波が来たときには、『やっぱり逃げておいてよかった』と言えるようにしなくてはなりません。そのためにはどうするのが良いか。人間の性質上、恐ろしい思い出は長続きしないもの。だから、脅しによる教育はあまり効果がない。なぜ危機への備えが必要か、どのように回避すべきなのかを、行動の帰結を示して理解させることが必要」
一般的に、防災教育といえば「こんな被害が想定されますから避難しましょう」という形が多い。いわば「脅し」の教育だ。それに対し、片田氏のいう「理解」の教育とは、「このように行動すればこうなる」といった説明を積み重ねて理解を得る形となる。対象者が十分に納得し、理解した上でなら、自ら判断し、行動できる。「行動することを選択しない」という心理状況を改めるには、効果がありそうだ。
片田氏は、住民の避難状況と津波被害をシミュレーションした動画(動く津波ハザードマップ)を用い、避難勧告を受けて迅速に動き出すことが有効だとビジュアルに見せるという内容で住民教育を試みた。対象となったのは三重県尾鷲市。やはり津波の常襲地域で、東海・東南海・南海地震の際には大きな津波が押し寄せ、過去にも大きな被害があった。
「地元の方を集めてシミュレーションをお見せすると、どなたも画面の一点を見つめているんです。それぞれの自宅の場所を」
「地元の方に、情報を聞いてからどのくらいの時間で避難するかを聞くと、『20分もあれば家を出る』と言うので、まずはその条件でシミュレーションをお見せすると、まったく避難しない場合と違わない。一方、次にお見せした『10分で避難を開始した場合』の条件では、劇的に被害が減っています。こうしてお見せすることで、みなさんよく逃げるようになりました(笑)」
片田氏が人間の心理面を研究した上で工夫した防災教育の手法は、情報セキュリティ教育の上でも参考になるはずだ。最後に片田氏は、防災にも情報セキュリティにも共通する心構えとして、中国の古典から1つの言葉を紹介した。
「皆さん、『居安思危』という言葉をご存知ですか? 『備えあれば憂いなし』という言葉には、前に2つの句があり、見事な三段論法となっています。その冒頭の句が『居安思危』。この『安きに居りて危うきを思う』ことこそが大切なのです」
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.