若き日のゲイツ氏も出演――「偉大なる凡機」PC98、32ビット化への挑戦温故知新コラム(1/2 ページ)

世の中に登場して半世紀しか経たないコンピュータにも、歴史が動いた「瞬間」はいくつも挙げることができる。ここに紹介する「ビジュアル」もまさしくそのひとコマ――。

» 2007年08月28日 07時00分 公開
[松岡功,ITmedia]

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NECが打ち出した独自のアーキテクチャー

 日本のPC市場で、かつて10数年にわたって過半数のシェアを占め続けた製品シリーズがあった。1980年代前半から90年代後半まで、この市場のガリバー的な存在として産業そのものの形成に大きく貢献したNEC PCの源流「PC-9800シリーズ(以下、PC-98)」がそれだ。

 80年代前半、国内ではまだPCなんてマニア向けと思われていた中で、NECはこのPC-98を擁して地道な人海戦術で販売網を開拓し、数多くの独立系ハード/ソフトベンダー(IHV/ISV)と連携することによって新たなビジネス構造を築き上げてきた。技術的には米国製品の先進トレンドをにらみながら、常に競合他社に先駆けてグレードアップを重ねる一方、漢字処理など日本文化に合わせた機能を早くから取り込んできた。ただPC-98はそうしたハイテク製品というより、幅広く大衆に受け入れられた「偉大なる凡機」というのが、敬意を込めた筆者の印象である。

 そのPC-98が全盛期を迎えた象徴的なイベントが、今回ご紹介する写真である。

1989年10月23日に行われたNEC PC-9800シリーズ新商品説明会

 時は1989年10月23日。「PC-9800シリーズ新商品説明会」と題して都内ホテルで行われたこのイベントには、IHV/ISVを中心に約500社、600人が集まった。NECからの発表の目玉は、新開発のバスアーキテクチャ「NESA(New ExtendedStandard Architecture、ネサと読む)」。これは82年発表のPC-9801以来継承してきた16ビット独自バスと互換性を維持した、32ビットバスアーキテクチャーである。この後のPC-98シリーズの32ビット機のプラットフォームとなるものである。

 当時のPC向け32ビットバスは、1987年にIBMが「MCA(Micro Channel Architecture)」を採用。翌1988年にはPC/AT互換機陣営が「EISA(Extended Industrial Standard Architecture、エイサと読む)」を制定するなど新しい規格が生み出されていた。国内でも、すでに日本IBMがMCAマシンを投入しており、メーカー各社とも32ビットPC市場の拡大をにらんで、高速・大量データ処理を可能にする32ビットバスへの対応に迫られていた。そうした中で国内トップシェアのNECがいち早く独自のアーキテクチャーを打ち出した格好となり、IHV/ISVにNESA仕様に基づく製品の開発を進めてもらおうというのが、このイベントを開いたNECの狙いだった。

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