「おめでたい」では済まされない上司たちサバイバル方程式(1/2 ページ)

1人自らのおめでたさを振りまく上司をわらうマネジャーは多い。しかしそのおめでたさがどこから来るのかまで考える人は少ない。

» 2008年12月03日 07時00分 公開
[増岡直二郎,ITmedia]

本人たちは真剣なのである

 どんな立場であれ、部下を持つ上司の役割は時代とともに進化する。CIOもそうだ。付け加えると、進化のスピードは年々早くなっている。

 こうしたことに気づかないでいると、おめでたいCIOとなる。しかし誠に残念ながらそういうCIOが、周辺に少なからず見受けるのは悲しい。いくつかの例を挙げよう。

 情報機器メーカーの中堅企業A社で、B取締役は経理部長と情報システム部長を兼務していたが、CIOとして任命されていた。しかし彼がCIOの任務として認識していたことは、情報システム部門を「守る」ということだった。新システムを導入したときはもちろん、日常業務の中でも、ユーザーから寄せられるシステムトラブルのクレームやシステム変更の要求について防波堤となり、常に情報システム部門に余計な仕事を持ち込まないこと、降り掛かる火の粉を振り払うことに専念した。また、従業員の勤務評定会議席上では、情報システム部門の人間の評価点をいかに上げるかに執着し、他部門の者の評価点を下げてでも情報システム部門の人間の評価点獲得を画策した。一方、IT投資や情報システム部門の経費予算に対しては寛大な姿勢だったので、A社のIT化にとっては幸いした面もある。

 しかしこの場合、Bは当時のCIOの任務を負うどころか、情報システム部長、いや課長、いや単なる一担当者に相当する任務を負っているにしか過ぎない。彼の下にいる部下たちも一時の「楽園」を得たのかもしれないが、いつまでも続くはずもなく、他の部門とのあつれきを残し、長い目で見ればマイナスである。

 実はこれは10年以上前の話だから、今はそんなCIOはいないと言われそうだが、この例は組織的問題というより、個人の資質に関わる問題なので、いかにITが進化し、組織やCIO機能が進化したとしても、今もその種の問題を潜在的に抱えるCIOが存在しないとは言い切れない。 

 さらに、旧弊に取り付かれたCIOの例である。中堅の産業機器メーカーのC事業所は、見込み生産と受注生産が並存していたが、ITはメジャーである見込み生産に導入されており、マイナーの受注生産には基幹業務部分のみ申し訳程度に導入されていた。あるときCIOであるDが「受注生産にもITを本格導入する」と言い出し、受注生産部署にIT投資説明資料を作成させた。受注生産部署の関係者は、永年の念願がかなうと大喜びで協力した。 

 やがてIT投資に対する本社認可が下りたらしいが、受注生産部署に何の連絡もない。受注生産部署の責任者はDに確認したが、返ってきた言葉に愕然とした。Dいわく「あれは、そもそも見込み生産のための投資案件だ。しかし見込み生産ではもう効果が出つくしていると思われていて、投資伺い書の書きようがない。そこで受注生産に投資をするという口実で申請したのだ。実は見込み生産部門はまだまだ省人化ができる」

 これはうそみたいな話だが、7、8年前にあった本当の話だ。このCIOは二重の大きな間違いを犯している。まず、社内関係者にうそをついたこと。これは経営者として、いや人間として失格だ。社内の信頼を失った代償は大きすぎる。次に、IT投資効果を省人化とか効率化とか旧態依然とした効果だけでしか捉えることができないこと。企業の置かれた状況が理解できず、課題を認識できないから、経営戦略やIT戦略を立てることができず、投資目標の設定が昔の枠から出ることができない。どんな手段を使ってもひたすら人と金を減らすことしか考えられない。CIOとして失格なのは言うまでもない。

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