ブログ立ち上げ時の苦労話、評論家S氏のエイヤ! 事件――いまだから話せるブログ黎明期の四方山話を、ブログ事業者が語りあった。
某月某日深夜、都内某所。ブログサービスを提供する会社に所属し、サービスの企画から立ち上げ、運用に携わってきた方々に集まっていただき、ブログの黎明期から現在に至るまでの苦労話やエピソードなどを伺った。
―― まずは、皆さんがどのような経緯でブログ事業を始められたのか、お話いただけますか。
A社 ブログは、いまでこそすごい数の人が参加するようになりましたが、5年ぐらい前は日本ではまったく流行らないだろうと思われていました。そのころブログをやろうという企画をしたのですが、社内で即却下されました。とにかくあのころは、ブログとは何かを会社の人がまったく理解してくれなくて。ブログの企画を通すのが、本当に難しかった。
B社 「インターネットの話は17文字で説明できなきゃダメ」とかいわれてましたもんね(いまでも、インターネット上の広告テキストは17文字という規定のものが多い)。
D社 私はそのころ掲示板サービスをやっている会社にいて、ブログをやりたいと思った。確か「ブログは掲示板の延長線上にあるサービスだ」と会社に説明しましたっけ。
B社 当時テンプレートホームページというものがはやり始めて、「そういうものはやらなきゃ」と調べてみたらブログにたどり着いた。でも「テンプレートホームページの延長」という説明では、ブログが何かを説明できませんでしたね。
C社 うちは、社長が「やろう」といいだした。とにかく作らなければならないという状況で、ブログをやることが決まってからサービスを立ち上げるまで、なんと1週間で作り上げました。
B社 日本で最初にブログツールを提供した大手がライブドアで、ブログの普及に貢献したのがニフティのココログでしょうかね。はてなダイアリーは面白いですよね。はてなキーワード(文中の同じキーワードを共有するはてなの共有辞書サービス)とか周辺の機能がけっこう面白い。
―― アメブロはいま、すごい人気ですね。
C社 でも最初は後発で、ユーザーを増やすために、ランキングで賞金とか出してましたよね。なりふり構わずって感じで。でも結果的には、それで「実録鬼嫁日記」などの人気ブログが出てきた。
A社 一時期、JUGEM(ジュゲム)のユーザーがすごい増えて、ライブドアを抜いたことがありました。それで、ライブドアの堀江さんがえらい怒ったとか。でもそのあとサーバの統合に失敗して、新規会員の募集を止めなきゃならなくなった。そのときに、FC2が出てきた。FC2がなんで伸びたかというと、JUGEMのテンプレートを使えたというのがあって、JUGEMがトラブっている間にユーザーがゴッソリ移動した。
B社 ライブドアといえば、やっぱり「エログ(素人女性による、セクシーな写真を中心としたブログ)」ですかね。2004年の夏ごろに、雑誌のSPAで「エログがスゴイ」という特集をやって、ブログより先にエログが世間に知れ渡った。
A社 エロはいま、携帯に移ってますね。
C社 そういえば、エログのサービスをやって課金するかという件を、真剣に検討したことありますよ。
―― いまだからいえる、きわどい話ってありますか?
B社 きわどいのはやっぱり、評論家のSさん事件でしょうか。2004年12月に日本中のブログサービス事業者を集めて、彼が演説したことがある。ブログ界の芥川賞をやりたいって。
D社 そのときの言い方がインターネット目線じゃないというか、なんだか上から命令されているように感じて、結局は誰も彼の提案に反応しなかった。
A社 そうそう、そんなこともあったよね。Sさんが演説しているときに「エイヤ! でやってください」って何度も言ってて、それがやたら耳に残ったなぁ。
B社 このこととは全然関係なく、いまではアルファブロガーアワードとかがありますよね。
A社 僕はアルファブロガーって、いまだによく分からないんですよね。どんな人が受けるかは、事業者サイドではあまり意図してはできないですし。「キャラ弁(アニメや漫画のキャラクターや芸能人の顔などを模した弁当)」とかで、主婦が一気に有名になったりするじゃないですか。
D社 JUGEMに「排気口」だけをひたすら追いかけてモブログ(携帯電話のカメラやネット機能を利用して更新するブログ)している人がいますね。あと「廃墟」とかは、受ける定番のテーマだったりしますね。
B社 いまのデジタル一眼レフカメラのブームって、理由の1つはブログからきてるんじゃないかと思います。自分で撮った写真を掲載できる場所って、やっぱりブログが多いでしょう。
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