出会いと縁を大切にする、東洋的キャリアの築き方オルタナティブな生き方 大里真理子さん(2/3 ページ)

» 2009年07月14日 11時30分 公開
[土肥可名子,ITmedia]

 今でこそ、学生に対してえらそうに就職アドバイスとかガイダンスをやっているんですけど、当時のわたしは何にも知らなくて。その子が親切に「知ってる人に頼んで面接を設定してもらうのよ」と教えてくれたので、父に「ねぇ、誰かIBMの人を紹介してくれない?」と頼んだんです。父も困ったと思うのですが、恐らく娘のために駆けずり回ってくれたのでしょう。なんとか紹介を取り付けてくれて、無事内定をもらうことができました。

大里真理子さん 「自分の道を自分で決めるのが苦手でした」

 ところが3月になったら、ダメだと思ってた教員試験の合格通知が来たんです。軽い気持ちで「やっぱりわたし、先生になるね」と宣言したら、このときばかりは父に烈火のごとく怒られました。「バカ野郎! 3月までひっぱって辞退するような常識はずれのやつがいるか。どれだけ迷惑かけると思うんだ」と。

 今考えれば、父の怒りはもっともです。当時のわたしは、本当に何にも考えていなかった。『生徒諸君!』の世界への未練もあったのですが、無理を通すより与えられた道で精いっぱい頑張ろう、とIBMに就職したんです。

 いい加減な就職活動ですけど、結果的にIBMに就職してよかった。雇用機会均等法が施行されたとはいえ、「女性だからって、どうしてお茶汲みをしなければいけないのか」といった議論があった時代。IBMは、本来の仕事以外で気を遣って神経をすり減らすようなことはなかったですから。

外資系ならではのキャリア観に悩む

 職種はシステムズエンジニア、データベースの担当でした。クライアントは当時元気のよかった日本の製造業で、いいお客さまにも恵まれましたし、仕事は楽しかった。でも、悩みも生まれました。

 上司に「キミはどんな仕事がなにやりたいの?」って聞かれて、わたしは謙虚なつもりで「何でも好きだから何でもやります!」と答えたことがあったんです。そしたら上司はひとこと、「そう。だったらキミには、誰もやりたがらない1番つまらない仕事をあげよう」と。

 びっくりしました。初めて“アメリカの会社”を意識した瞬間かもしれません。もちろんその上司は親切心から、外資系は自分でキャリアを作らなければいけないところであることや、自分の意思で道を切り開いていくことの重要性を教えてくれたんですけど、これがわたしには結構つらかった。

 常に「あなたは何がしたいの?」と問われるプレッシャー。わたしは、何でもそれなりにこなせるけど特に好きなものもない、いわゆる器用貧乏でした。大人の言うことをよくきく“いい子”として頑張ってきたので、言われることはちゃんとやるけど、自分で道を決めるのが苦手だったんです。上司に対してやりたいことを明確に述べる同期が大人に見えて、「あの人は何でそんなにはっきり決められるんだろう」と、うらやましかったものです。

 それでも入社3年を過ぎたころから、自分でキャリアを考えられるようになりました。システムズエンジニアは勉強することがたくさんありますから、得意の勉強を生かして順調に成長し、仕事も楽しくて仕方なかった。でも、この延長線上で仕事をしても、わたしがイメージする「大きな仕事を成し遂げる女性」にはなれないんじゃないかと、悩みはじめたのです。そんなとき「キミはお勉強が好きなんだから、それを強みにすればいい」というアドバイスを下さった方がいて。「勉強を武器にするってことは、ビジネススクールかなぁ」と、またまた人の言うことを素直にきいて、留学することを決意しました。

答えの出ない2年間、そして初めての挫折

 留学先のノースウェスタン大学ケロッグ・ビジネス・スクールは、ハーバード・ビジネス・スクールなどと並ぶトップレベルの学校で、出世路線に乗って社費留学で来ている人、自分の道を切り開こうと自費で来ている人など、明確な意志や目標のある人ばかりが集まっていました。

 わたしはといえば、留学はしたもののそんなに深くも考えておらず、さしたる目的もない。そして、常に「あなたは何がやりたいの?」と突きつけられるのがたまらなく嫌でした。“自分で道を選ぶ”ことがやっぱりできなかったんですね。お金も時間もかけているのに、何をやりたいのか答えを見付けられない。結構悩みました。おまけに初めての海外生活で、食事をはじめアメリカ生活そのものにもなじめず、ホームシックにもなりました。

 答えが出ないまま卒業が近づき、周囲に「自費で留学しているんだから、会社に義理を果たす必要はないんだよ」と言われて、IBMに戻るつもりだったんですけど就職活動も始めました。

 ビジネススクール卒業生の多くは、コンサルティングや投資銀行など高報酬を約束された業界に職を求めます。でもわたしは地に足のついたものづくりが好きなので、製造業を中心に仕事を探して、ユニデンに転職することにしました。

 でもね。日本に戻るつもりでいたのに、いきなり中国赴任になっちゃったんです。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ