ITmediaのビジネスブログ「オルタナティブ・ブログ」で「マリコ駆ける!」を執筆する大里真理子さんに、出会いを生かす東洋的キャリアの築き方を伺った。
キャリアや会社経営を明るく軽快につづる大里真理子さん。ブログタイトルそのままに人生を駆け続けている大里さんに、自身のキャリアについて、そしてこれからキャリアを形成する若い世代に伝えたいことなどを伺った。
子供のころのわたしは“お勉強”が好きで、大人の言うことをよく聞く“いい子”でした。
高校時代までは地方都市を転々として、目立つことをすると翌日にはみんなに知れ渡るような環境にいました。例えば男の子と映画を見に行ったら、次の日には「大里さんが××クンと映画観に行ったんだって」って学校中に知れ渡っているような。だから大学は、人目を気にしなくてもよい東京に行きたいな、と思っていました。それなりに良い成績だったので、東京にある大学で、偏差値が高くて、“東京”と名前のつくところ。それで東大へ行くことにしたんです。“デート”も自由にできそうだし(笑)。
それだけじゃないですよ。まじめな話をすると、東大は2年間の教養期間の後で専門を決める「進学先振り分け制度(通称進振り)」があるので、受験する段階で専門を決めなくてよかったんです。理系だけど文系科目も好き、そんな「何をしたいか分からない」わたしには、このシステムも魅力でした。
大学では、普通の学生でした。デートも思う存分(?)堪能して、本当に楽しかった。夫は大学の同期なんですけど、「あのころの君はとんでもない勘違い女だった。まさか結婚することになるとは」って(笑)。
進振りは大学2年にあるんですが、そのときは漠然とキュリー夫人になれたらいいなあ、という気持ちでした。当時のわたしにとって大きな仕事を成し遂げた女性といえば、ナイチンゲール、キュリー夫人、マザーテレサだったので、わたしが目指すとしたらキュリー夫人かな(笑)と。理学部の化学科に進学するつもりでした。
将来に対して明確な目標があったわけではありませんが、「何か大きな仕事をしたい」というイメージはありました。その一方で母を見て漠然と、いずれは自分も結婚して子供を産んで専業主婦になるのかな、と思っていたりもしました。
周囲にはキャリア意識が強い人がたくさんいましたし、わたしは雇用機会均等法(1986年施行)の一期生なんです。佐川さんも言ってたように、当時はキャリアウーマンブーム。進振りの面談でも「キミ、卒業したら何になりたいの?」と聞かれて、迷わず「キャリアウーマンになりたいです!」って答えました。
そうしたら、面談相手が思わぬことを言い始めたんですよ。「キミねぇ、東大の理学部というのは研究者になるために行くんだよ、そんなところに行ってキャリアウーマンになる人はいないよ」って。「キミはまだ知らないだろうけど、世の中には女性差別ってものがあるんだよ」と、とうとうと説きはじめるわけです。「キミ英語好きなの? だったら女の人は外資系に行くといいよ、外資系は差別がないから。英語好きなら英文科行ったら?」とね。そんなものかと思って、確かに英語も好きだし得意でもあったので、文系専攻に転向して英文科に進学しました。
ところが、進学してみて分かったんですけど、東大の英文科とは“英文学”を勉強するところで、“英語”を勉強するところではなかったんですね。
わたしが好きな英語は“語学”。英文学なんてちんぷんかんぷんで面白くも何ともないわけです。ああわたしはやっぱり理系だったんだ、白衣着て実験してる方がよっぽどましだった、とすぐに後悔しました。留年して学部を選びなおそうかと思ったぐらいです。でもこうなったらさっさと卒業して、あとは初志貫徹でキャリアウーマンを叶えればいいやと。
キャリアウーマンに憧れる一方で、当時流行っていた少女マンガ『生徒諸君!』を読んで、学校の先生にも憧れていました。それで東京都の高校教員の採用試験を受けたんですけど、合格する自信はなかった。そうなると就職先を考えないといけないわけですね。そこで、ある授業でたまたま隣に座った子に「あなたどこに就職決まったの?」って聞いたわけです。その子が「わたし? IBMよ」と答えたので、「ねぇねぇ、IBMってどうやって受けたらいいの?」って。
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