コンピュータ御三家、新社長の手腕伴大作の木漏れ日(1/3 ページ)

NEC、日立、富士通の「コンピュータ御三家」が、ここに来て相次いで社長人事を発表した。各社の思惑は何か。「グローバル化」「若返り」がキーワードになっている。

» 2010年03月08日 16時44分 公開
[伴大作,ITmedia]

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 2月25日にNECが大手三社では最も遅いタイミングで、新社長の発表を行った。先陣を切ったのは富士通で1月22日、次いで2月4日に日立が追っかけた。NECは、最後を締めくくる発表であった。

 日立製作所の古川一夫氏と富士通の野副州旦氏は2009年度中に両者とも退陣に追い込まれているのに対し、NECの矢野薫社長だけは今回の発表で、代表権のある会長としてとどまることになった。

 このような舞台裏を踏まえ、各新社長の顔ぶれを見るとそれぞれ内部事情が透けて見えるようで興味深い。

日立製作所 中西宏明新社長

 3人の中で、東京大学を卒業しているのは中西氏のみだ。彼は在職中にスタンフォード大学へ留学、コンピュータ・エンジニアリング修士の学位を取得している。帰国後は主に情報通信分野の国際畑を歩み、IBMとの合弁会社である、Hitachi Global Storege Technologies(HGST)の幹部の道を歩んだ。つまり、生粋の国際派ということがいえる。また、ほかの2人が56歳であるのに対し、1946年生まれで満63歳と若干年上ということも注目に値する。

富士通 山本正己新社長

 異色の肩書きといえるのが富士通の山本社長だ。僕の知る限り、九州大学を卒業した人でこの業界で社長にまで出世したのは異例だ。年齢は1954年1月11日生まれで、NECの遠藤信博新社長とほぼ同じ56歳。異色なのは、九州大学出身ということばかりではなく、ハードウエア畑出身という点も注目に値する。

 前任の野副さんが企画畑、その前の黒川博昭さん、秋草直之さんがSE畑と、歴史的に富士通はハード出身者が社長にならない傾向があった。しかも、彼のたどった道はメインフレーム畑でもサーバ畑でもなく、採算性に大きな問題を抱えたクライアント畑出身だ。それだけでも、彼が社長に決まったことには何か裏がありそうだと想像できる。つまり、彼の社長就任はある意味「消去法」で決まったのだ。

 これを裏付けるのが新社長と同時に発表された5人の副社長制度だ。グローバルビジネスを担当するリチャード・クリストウ氏、サービスビジネス担当の石田一雄氏、コーポレート管理の藤田正美氏、システム/プロダクト担当の佐相秀幸氏、ソリューションビジネス担当の生貝健二氏である。

 この中で、コーポレート管理を担当する藤田副社長以外は皆、山本新社長より年長者である。しかも、ほぼ全員が担当部署で長い間活躍した実力者だ。つまり、山本社長がリーダーシップを発揮しにくい環境にあるのだ。会長に退く間塚さんはともかく、秋草相談役の影響を排除できるかについては疑問だ。

NEC 遠藤信博新社長

  遠藤信博新社長は1953年神奈川県で生まれ、1981年に東京工業大学大学院理工学研究科博士課程を終えてNECに入社した。入社後の配属は明らかになっていないが、この10年間を見る限り、一貫して、モバイル&ワイヤレス部門の中核を担ってきたといっていい。

 中でも彼の業績として注目されるのが、NECのお家芸であるマイクロ波の技術を用い、モバイル基地局間の中継網として、世界中に売り込み、シェアナンバーワンを獲得したことだ。

 恐らく矢野新会長が、このあたりの手腕に期待を抱いたと考えるのは極めて自然だ。もちろん、自らが進めてきた携帯電話事業、つまり、通信分野出身者が経営を引き継ぐことを意図したのも想像に難くない。

 さらにこの時代、「グローバル化推進」と「若返り」という「錦の御旗」を掲げないと誰も納得しないとも考えたのだろう。確かに、この数年のNECのコンピュータ市場における凋落ぶりはライバル2社と比べると際立っている。コンピュータ部門から社長を迎えるという選択肢は矢野氏の頭の中にはなかったに違いない。

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