数字や用語の意味を知る――地震災害編萩原栄幸が斬る! IT時事刻々(2/3 ページ)

» 2011年11月26日 08時00分 公開
[萩原栄幸,ITmedia]

日本最大の地震災害でみる津波

 9月1日の「防災の日」のきっかけになったのが、日本災害史上最悪の被害を出したといわれる関東大震災である。1923年9月1日の午前11時58分に発生した。理科年表には死者・行方不明者合わせて10万5000人あまりという数字が掲載されている。以前に写真の展示会を見学したが、見渡す限り死者がすき間なく横たわっていた。集めてそこに運ばれたものではない。東京のある街から災害時のままを撮影したものである。その写真だけでも恐らく1000人以上もの方が横たわっていた。

 火災は9月3日まで続き、東京市(当時)の6割の建物が被災した。横浜市は震源により近かったため、レンガ造りの洋館やホテルは一瞬にして崩壊し、外国領事館の全てが焼失、工場や会社事務所も9割が焼失したという。この時の津波は10メートルを超えるものが、各地で観測されたようだ。資料では今の千葉県館山市相浜で9.3メートル、同市洲崎で8メートル、神奈川県三浦市や静岡県熱海市で6メートル、鎌倉でも有名な由比ガ浜だけで300人以上が津波によって行方不明になった。この関東大震災のマグニチュードは7.9である。

マグニチュードと震度の関係

 エネルギーが大きくても震度が比較的小さい場合があれば、マグニチュードはそれほどではなくても震度が大きい場合がある。震度とは、実際の揺れを数字化したものなので、地震のエネルギーがどのくらい伝播したのか、つまり、震源との距離が関係する。つまり地殻の深いところからの震源と、地表に近い震源となら、同じエネルギーなら震源に近い方が震度は大きくなるわけである。その他にも地層や地質などの環境が関係してくるだろう。

 気象庁発表の数字だけみても、例えば最大震度4で比較すると、マグニチュードが異なることが分かる。

発生日 マグニチュード
1971年2月26日 M5.5
1974年11月13日 M7.3
1980年9月25日 M6.1
1981年1月19日 M7.0
1983年8月8日 M6.0
1984年1月1日 M7.3
1984年3月6日 M7.6

 このようにバラバラである。M7.6とM5.5なら、全エネルギー量は1000倍以上もの差があるにも関わらず、震度は同じなのである。

私たちが注意すべきこと

 最後に、筆者が“なるほど”と感じた地震災害での注意点を挙げてみたい。

1.地震直後に消火確認はしてはいけない

 今は自動的にガスの供給が停止されるものが多い。自分自身の安全確保を優先してからでも、ガスの確認は遅くはない。むしろ、地震の直後に台所に行って被災する方が多いと聞く。例え、「うちの台所は昔の設備だから不安だ」としても、台所に行ってガス爆発に巻き込まれないという保証はどこにもないのだ。ただし自宅から外出するなら、電源のブレーカーを必ず落とし、ガスの元栓を閉じ(プロパンガスなら屋外にあるボンベの元栓)、水道メーターにある栓も閉じる。貴重品は、例え空き巣に入られても容易に持ち出せないようにするか、持参することを検討しておくべきだろう(状況により判断は異なる)。

2.帰宅困難時はじっとしている

 東日本大震災時は、東京では揺れが大きかったものの、直接的な被害はあまりなかった。それでいながら、当日の都内は大混乱となった。かくいう筆者も、直後は秋葉原の某電気店にいた。そこの社長が震災把握のために商工会議所へ出掛けることになり、「萩原さんはどうしますか」と聞かれ、「この道をまっすぐ歩けば7、8時間で帰宅できるから」といい、大多数の帰宅困難者の一人となってしまった苦い経験がある。もし東京もあちらこちらでビルが倒壊し、火災も方々で起きていたら、まず助からなかったに違いない。「心して平時の行動パターンにのっとり、動く事なかれ!」とその時の動向を冷静に分析して行動すべきだと感じる。「実際にそう動けるのか?」という難しい問題でもある。

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