エーザイCFOの「柳モデル」が証明したESG経営"見えない価値"の可視化手法とデータ分析の力(2/2 ページ)

» 2021年10月07日 10時00分 公開
[名須川 竜太ITmedia]
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柳モデルを構成する4要素

 では、企業の潜在的な価値を見える化するための枠組みである柳モデルとは、具体的にどのようなものだろうか。

 柳モデルは次の4つの条件から成る「トータルパッケージ」だ。

  • 概念フレームワークの提示
  • 実証研究のエビデンス(概念フレームワークに対する重回帰分析による統計的な裏付け)
  • 統合報告書での具体的開示
  • エンゲージメントの蓄積

 「これら4つのどれが欠けてもいけません。4つ全てをトータルパッケージでつなぎ、これらが有機的に結び付くことで、初めて見えない価値の見える化、すなわち“ESGの定量評価”が可能になります」と柳氏は説く。

 下図に示すのが、柳モデルの概念フレームワークだ。その核となるのは株主価値や企業価値など、理論上の時価総額に相当するものだ。

柳モデルの概念フレームワーク(出典:柳氏の投影資料)

 もちろん、企業の潜在的な価値が株価として全て顕在化しているとは限らないが、考え方としては企業価値の時価総額となる。上図中央に黄色で示した株主資本簿価(BV)がPBR1倍の部分に相当し、その上に示した市場付加価値(MVA)がPBR1倍を超えたESG価値、のれん代、非財務の価値に当たる。

 このMVAは、図の左側に示したIntrinsic Valueモデルは「株主資本コスト」や「利益成長率」と連関するとともに、IIRC(国際統合報告評議会)が掲げる5つの非財務資本(知的資本、製造資本、人的資本、社会/関係資本、自然資本)とも連関する。

 なお図の下部に「残余利益モデル」とあるが、PBR1倍超えの部分はエクイティスプレッド(自己資本利益率〈ROE〉から株主資本コストを差し引いたもの)の現在価値の総和になることが数学的に証明できる。残余利益は株主資本コストを上回るROE、つまりエクイティスプレッドに収斂されるため、「日本の経営者が追求するESGや見えない価値と、世界中の投資家が求めるROEや資本コスト低減は二律背反するものではなく、PBR1倍超えのMVAを通じて"同じ船に乗っている"と見なせます。つまり、企業と投資家の間にWin-Winの状況を作れるということです」と柳氏は説明する。

 ただしこのモデルの成立要件はロングターミズム(長期志向)であり、ショートターミズム(短期志向)は均衡を破壊すると柳氏は注意を促す。例えば、欧米の短期志向なヘッジファンドによる「人件費や研究開発費を過度に削減し、直近の1株当たり利益(EPS)、ROE、配当を倍にしろ」という要求に応じたとしたら、超長期的にはROEが下がり、企業価値が毀損されてしまう。そのため、持続可能な世界の実現という理念に則り、「超長期的に社会貢献しながら企業価値を高める」という考え方をESG投資家などに訴求して投資を引き出すことが重要だ。

相関関係を自ら証明して周知し、投資家の理解を得る活動も必須

 実証研究のエビデンスについては、IIRCの5つの非財務資本とPBRの間に正の相関があることが既に証明されている(注3)。また、柳氏は温室効果ガス(GHG:Greenhouse Gas)排出量と企業価値の間には負の相関関係があるという仮説を重回帰分析によって実証した。

GHG排出量と企業価値の相関(出典:柳氏の投影資料)

(注3)中央大学教授の冨塚嘉一教授による論文「非財務資本は企業価値に結びつくか? : 医薬品企業の統合報告書に基づく実証分析」(『企業会計』)など。


 「このグラフは両者の相関の推移を約10年間追跡したもの。以前は企業がGHGを増やそうが減らそうが、企業価値との間に有意な関係は見られませんでした。ところが、2012年以降にESGが企業価値の評価に織り込まれるようになると温室効果ガスの排出量が多い企業ほどPBRが低下しており、柳モデル/PBR仮説が環境問題についても成り立つようになってきたことが分かります」(柳氏)

 「温室効果ガスの削減(CO2削減)」などの課題の重要性は業界や企業によって異なる。エネルギー業界においてCO2削減は非常に重要だが、製薬やIT、流通/小売などの業界ではそれほどでもない。それぞれの業界における重要課題(マテリアリティ)として何があるかは、米国の非営利団体「SASB」(Sustainability Accounting Standards Board:サステナビリティ会計基準審議会)が開示する「マティリアリティマップ」を参照すればよい。次に示すのはバイオテクノロジー/医薬品業界に関するSASBのマテリアリティマップだ。

SASBの資料から柳氏が作成したマテリアリティマップの例(出典:柳氏の投影資料)

 ESGの可視化に取り組む企業は、こうした指標を踏まえて自社のESGマップを作り、それぞれのマテリアリティに優先順位を付けてESGと企業価値の相関関係を訴求するとよい。

 柳氏は「概念フレームワークの提示」として企業会計に関する学会や団体などで論文の寄稿や発表を積極的に進める他、「エンゲージメントの蓄積」として海外投資家らと年間約200件の面談を実施する生活を15年間継続して相互理解を育んできた。またエーザイのIRチームは現在年間約800件の面談を実施し、投資家らに対して同社のESGを訴求する。

 本稿は柳氏の講演のうち、「柳モデル」の概念とフレームワークをまとめた。レポート後編は実際に柳氏がエーザイで実践するESG活動の可視化の詳細を見ていく。

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