アイ・ティ・アールの入谷光浩氏の新しい連載が始まります。第1回は、先の見えない時代に、企業が生成AIを“羅針盤”としていかに活用するかがテーマです。ブームに乗って導入したものの、「活用している」と胸を張って言えない企業がすべきこととは。
この記事は会員限定です。会員登録すると全てご覧いただけます。
筆者は20年以上、ITアナリストとして働いてきました。ITアナリストはちょっと特殊な職業だと思っています。ベンダーでもなく、ユーザーでもなく、コンサルタントとも違う、IT業界において中立的な立場で、客観的にエンタープライズITの今と未来を調査、分析しています。現在はアイ・ティ・アールで調査・分析業務に従事しつつ、ユーザー企業やベンダーにコンサルティングやアドバイスを提供しています。
この連載では、これまでの経験や常識が通用しなくなりつつあるエンタープライズITの動向を的確に捉え、システムやツールを効果的に導入、活用するための方向性と道筋を考察していきます。
「GPTs are GPTs」(GPTはGPTである)──これはOpenAIの複数の研究者が2023年に発表した論文のタイトルです。一見、何を言っているのかわからないですよね。
実は2つの「GPTs」は全く異なる意味を持ちます。前者のGPTsはGenerative Pre-trained Transformersの頭文字。これは「ChatGPT」などで使われる大規模言語モデル(LLM)の総称です。
では、後者は何でしょうか。
後者のGPTsはGeneral-Purpose Technologiesの頭文字で、これは日本語では「汎用(はんよう)技術」と訳されています。
汎用技術とは、経済全体に広範囲にわたる影響を与え、多くの産業や社会の構造そのものを変革するような基盤となる技術を指します。紀元前に人類が定住を始めるきっかけとなった稲作をはじめとする農耕、武器や道具を進化させた鉄器、産業革命の原動力となった蒸気機関や電気、そして現代のコンピュータやインターネットがその代表例です。論文は、Generative Pre-trained Transformersこそが次なる汎用技術になり得ると結論付けています。
インターネットは人やモノ、データを瞬時につなぎ、クラウドやSNSといったプラットフォームの土台となり、デジタル時代のビジネスの進路を示してきました。もし、生成AIが汎用技術の仲間入りを果たすのなら(既に汎用技術になっているという見解も散見されますが)、不確実な「乱世の時代」に企業が次に向かう進路を指し示す羅針盤として機能させる必要があります。ただし、正しく使わなければ羅針盤は狂い、混乱を招くリスクも同時に抱えているということも忘れてはなりません。
では、羅針盤として生成AIを機能させるために、まず何を優先して取り組むべきでしょうか。経営層、DX・AI推進リーダー、IT部門、それぞれの立場から考えてみます。
この数年、筆者はさまざまな生成AIの活用事例を見てきました。生成AIが企業の羅針盤となるかどうかは、経営層が「生成AIで何を成し遂げたいのか」を明確に言語化できるかどうかが、まず必要ではないかと考えています。
三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)は2024〜2026年度の中期経営計画で、企業変革を推進するために生成AIについて「浸透と習慣化」という言葉で活用方針を定めています。経営者が言語化したことで、従業員の中に「生成AIで業務や顧客接点を変える」というマインドが芽生え、多様なユースケースが急速に広がっています。同時にシステム導入や人材育成、パートナー企業との連携も積極的に進められています。このように、経営層はビジョンを言語化し、必要なリソースを大胆に配分することで、生成AIという羅針盤を機能させることができます。
投資判断も経営層の重要な役割です。どのプロジェクトにどれだけの予算と人材をいつ投入するかを明示し、KPIを設定して継続的に評価する仕組みを設けることで、生成AIの取り組みを「点」ではなく「面」に拡大できます。財務的なコミットメントを伴うトップの意思表示こそが、現場を本気にさせ、革新的な成果を生み出す原動力になります。
一方、生成AIを含めたAIのプロジェクトは失敗も多く、場合によっては投資を止める判断もしなくてはなりません。「AIプロジェクトに失敗はつきものである」との前提に立って、迅速に判断することが求められます。
経営層が言語化したビジョンを具体化するために、DXやAIの推進リーダーが前面に立つことになります。まず取り組むべきは、「生成AIが解くべき問い」を洗い出し、選別することだと筆者は考えています。生成AIはその問いに答える装置にすぎません。問いが曖昧(あいまい)であればアウトプットも曖昧になり、羅針盤の針が揺れてしまいます。
そこで重要となるのが、顧客価値向上や業務効率化、事業モデルの変革など実現したい姿を定め、その達成に役立つ生成AIのユースケースを発掘することです。顧客や業務、競合他社、競合サービスなど複数の観点から評価し、効果が大きく実現性の高いユースケースを推進することが望ましいと考えます。
ただ、ユースケースはただ黙っているだけでは出てきません。AIエキスパートと業務担当者による共創の場を設け、さまざまなアイデアを出し、それをユースケースまで昇華させる必要があります。ここがDX・AI推進リーダーの腕の見せどころではないでしょうか。組織の壁を越えた対話の場が鍵になります。
また、従業員の「鋭い問いを立てる力」を磨くことを忘れてはなりません。生成AIは「問いの質」、すなわちユースケースの質次第で効果が大きく変わります。業務の課題や顧客のニーズを見極め、急速に進化している生成AIの能力を加味しながら、具体的な問いに落とし込むスキルが成果を左右することになるでしょう。
DX・AI推進リーダーが最適な生成AI活用のためのロードマップを策定し、現場に問いを立てる文化を根づかせることで、生成AIの羅針盤を使って目的地に最短で近づけるのではないでしょうか。
安全な航海のためには、生成AIを信頼できる羅針盤にしなければなりません。それは、IT部門がどれだけガバナンスと安全性を担保できるかどうかにかかっています。
生成AIには、ハルシネーション(事実と異なる回答)や著作権侵害、情報漏えい、差別的あるいは攻撃的な表現の生成など、羅針盤を大きく狂わせるリスクが内包されています。
そこでIT部門はリスクを整理し、リスクにどう対応すべきかをガイドラインに落とし込むことが不可欠です。ガイドラインには目的外利用を防ぐ「適用範囲」、個人情報や機密データを扱う際の「入力制限」、生成物の出典確認や著作権チェックを義務付ける「レビュー」、誤作動や倫理違反が起きた際の「エスカレーション手順」などが含まれます。これらをチェックリストなどに分かりやすくまとめて社内で共有することで、現場は判断に迷わず安心して生成AIを活用できる環境が整います。新しいアイデアやユースケースが生まれやすい土壌が育ちます。
当然、システムに関するセキュリティ対策もIT部門の重要なタスクになります。入力される情報をモニタリングし、機密情報が含まれている場合には自動でマスキング処理する、あるいは生成を停止するなどのデータフィルタリングの実装が必要です。
また、利用する生成AIサービスが、自社で入力した情報を学習に使用しないようにオプトアウトできる仕組みがあるかどうかの確認も重要です。情報漏えいのリスクを最小限に抑えつつ、ユースケースを安心して拡大できる環境を整備することがIT部門の重要なミッションとなります。
もう一つ、IT部門が取り組むべきなのがAIのコスト管理です。生成AIのサービスやAPIの利用料や自社の専用環境で生成AI基盤を構築した際のGPUサーバの使用料など、生成AIを活用すればするほどコストは雪だるま式に膨らんでいきます。
ある企業のIT部長は、「生成AIを全社展開して初めて、これだけコストがかかることが分かった」と述べていました。クラウドコストの管理や最適化を図る概念としてFinOpsが注目されていますが、それに生成AI、もしくはAI全体のコストも含めて考える必要がありそうです。生成AIによるイノベーションが、コスト超過によって阻害されることを回避しなくてはなりません。
ガバナンスとセキュリティを両輪で回しつつコストを制御することで、生成AIという羅針盤を狂わせずに航海できるようにする。これこそがIT部門の役割ではないでしょうか。
本稿では、生成AIを「乱世の羅針盤」に見立て、経営層、DX・AI推進リーダー、IT部門の3つの視点から、企業が進むべき航路を描き、その航海をいかに安全に進めていくかを考察しました。生成AIに限らず、新たなテクノロジーで継続的にイノベーションを起こすには、ビジョン・推進・統制を同じ熱量で回し続ける三位一体の組織力が問われるでしょう。
IT業界のアナリストとして20年以上の経験を有する。グローバルITリサーチ・コンサルティング会社において15年間アナリストとして従事、クラウドサービスとソフトウェアに関する市場調査責任者を務め、ベンダーやユーザー企業に対する多数のコンサルティングにも従事した。また、複数の外資系ITベンダーにおいて、事業戦略の推進、新規事業計画の立案、競合分析に携わった経験を有する。2023年よりITRのアナリストとして、クラウド・コンピューティング、ITインフラストラクチャ、システム運用管理、開発プラットフォーム、セキュリティ、サステナビリティ情報管理の領域において、市場・技術動向に関する調査とレポートの執筆、ユーザー企業に対するアドバイザリーとコンサルティング、ベンダーのビジネス・製品戦略支援を行っている。イベントやセミナーでの講演、メディアへの記事寄稿の実績多数。
OpenAI「GPT-5」ついに発表 IT記者のファーストインプレッション
RAGは「幻滅期」突入、AIエージェントは「過度な期待」 Gartner、ハイプサイクルレポートを発表
AI人材不足、急速に進む 「データ活用人材、セキュリティ人材より足りない」状況で企業が取れる対策
業務アプリ市場への影響は? SAPのAIエージェント戦略の「難しい舵取り」Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.