前編では、インドが「民間がAI実装、政府がAI構築」という二重戦略をとっていることを明らかにした。後編では、インド企業との協業において直面する最大の壁とその乗り越え方を探る。
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AIやデータ分析の分野では、毎日のように新しい技術やサービスが登場している。その中にはビジネスに役立つものも、根底をひっくり返すほどのものも存在する。本連載では、ITサービス企業・日本TCSの「AIラボ」で所長を務める三澤瑠花氏が、データ分析や生成AIの分野で注目されている最新論文や企業発表をビジネス視点から紹介する。
前編では、インドが「民間がAI実装、政府がAI構築」という二重戦略をとっていることを明らかにしました。そして、インドの実践主義が、まさに日本が必要とする「AI実装人材」を生み出していることを確認しました。後編では、他国の企業がインド企業との協業において直面する最大の壁とその乗り越え方を探ります。
日本は10年ほど前の段階で既にIT人材が不足しているといわれていました。今でもその不足は解消されていない上に、「AI人材」も不足していると言われまます。では、「不足」しているのはどの程度のITスキルレベルの人材なのでしょうか。
ひとえに「AI人材」といっても基礎研究の研究者から、研究成果を皆が使えるようにパッケージやAPIに実装する人、AIをプロダクトに組み込む人、AIエバンジェリスト、AIを使いこなす人などさまざまだと思います。
この中で日本の多くの企業が今必要としているのは研究結果をプロダクトに組み込む人や使いこなす人です。つまり日本が求めているのは「実践的な実装力」です。
日本の強みは何でしょうか? 製造業の深いドメイン知識、ロボティックス、高品質な生産文化などさまざまなものが考えられます。いま日本に必要なのは、これらの「強み」をAIネイティブに変えていく人材が足りていないのです。つまりAI人材不足というとき、育成に注力すべきは研究者ではなくAIの実装者です。
インドの民間企業のAI戦略が実践偏重というのは弱みではありません。日本から見たときのAI実装人材不足とは完璧な補完関係にあるため、インドにとっては大きなチャンスと言えるでしょう。日本から見たときの実装する人材不足との完璧な補完関係にあります。ただしすでにお気づきの通り、現実は簡単ではありません。最大の壁は品質に対する定義の違いです。
例えば、製造ラインの異常検知AIを考えてみましょう。日本の製造業では欠陥ゼロが前提で「99.9999%の精度が必要」と考えます。一方、AIは確率論的な仕組みとして「95%の精度は素晴らしい」という評価になります。まず、日本の製造業とAIの間に精度のギャップが生じます。さらにインドは「80%の精度なのでリリースしましょう」となります。
日本企業は「見逃しゼロ」を求めます。誤検知が多少あっても、本物の異常を100%捕捉したい。一方、インド側は「80%捕捉できれば、残りは人間の目視でカバーできる」と考える。どちらも合理的ですが、前提が根本的に違うのです。これは日本では使えません。
この溝を埋めるには、開始前に「品質」の共通定義を明文化すること、日本の厳密さとアジャイルの柔軟性を持つこと、責任あるAIフレームワークを使うことが必要です。
ここで少し余談ですが、日本企業でAIチームが実証実験を行い、デリバリーチームが本番実装を行う場合に、精度の再現ができないという問題が生じることがあります。それくらいLLMを含むAIはパラメータや入力データのクレンジングプロセスに敏感で、実証実験時に全てを固め、その内容を時にはJavaやTypeScriptなどで、数値計算であればテストデータに対して浮動小数点まで一致するように構築していく必要があります。それくらいAIはちょっとした実装に精度が左右されやすいものなのです。
この3カ月、筆者がインドの社会に溶け込んで見えてきたものは、完全な答えではありません。ただ確実に言えることは輪郭がはっきりしてきたということです。
私が最初に感じた「不在」は私自身の認知バイアスでした。AI=「ChatGPT」のような消費者向けのプロダクトという西洋的な成功モデルを無意識に普遍的基準としていました。
しかしインドは別の戦場を選んでいます。企業向けにAIを製品に組み込んで送り出すという地味ですが巨大な市場。そして2024年以降は政府主導の基盤モデル開発という、二つの戦略を平行に走らせています。これはIT大国インドのAIに対する方針が「モデルを使って実装するのは民間、モデルを作るのは政府」という役割分担になっているからです。
基盤モデルは5年後には陳腐化します。しかし、AIを実装する力、レガシーシステムを近代化する力、これらは次の10年、20年と必要とされ続ける力です。
多くの日本企業が必要としているのは基盤モデル開発でOpenAIと争うことではありません。現場に、ロボットに、社会インフラに、AIを実装できる人材です。インドはまさにその領域に特化し、人材の教育を行っています。しかもオフショアモデルとして日本の品質基準を理解し、長期的関係を重視する企業文化を持つパートナーが既に存在しています。それはインド企業であり日本とインドの合弁会社かもしれません。
文化の壁は高いでしょう。99.9999%を求める日本と80%でリリースするインド。しかしこの溝を埋めるフレームワークは構築できるはずです。収益分配の設計、ハイブリッドチームの運営、文化を橋渡しする仕組み、そして何より「完璧」の定義を一緒に作り直す勇気。それがあれば、です。
「日本とインドはいっしょにどこへ行けるのか」
その問いの先に真の意味での人間とAIの協調、そして、どちらの国も単独では到達できない未来があるのかもしれません。
〇参考文献
Infosys: Integrated Annual Report 2024-2025
The Advancement of Agentic AI: Scaling Agentic AI Framework with Wipro and Microsoft Copilot
Why TCS, Wipro & The Ilk Fancy Agentic AI Over Foundational Models
Cabinet Approves Ambitious IndiaAI Mission to Strengthen the AI Innovation Ecosystem
Transforming India with AI: Rs 10,300 crore mission, 38,000 GPUs & a vision for inclusive growth
Scientific Policy Resolution 1958 - S&T Policy in India - Science & Technology Notes
Full Translation: China’s ‘New Generation Artificial Intelligence Development Plan’ (2017)
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