AI時代の覇権争いにおいて、名前が挙がるのは米国や中国の企業だ。IT強者といわれることもあるインド勢の名前をAI分野で聞くことはほとんどない。ではインドはいったい何をやっているのか。そこに日本のAI人材不足を解決するヒントが隠されていた。
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AIやデータ分析の分野では、毎日のように新しい技術やサービスが登場している。その中にはビジネスに役立つものも、根底をひっくり返すほどのものも存在する。本連載では、ITサービス企業・日本TCSの「AIラボ」で所長を務める三澤瑠花氏が、データ分析や生成AIの分野で注目されている最新論文や企業発表をビジネス視点から紹介する。
2025年7月、私はインドに赴任しました。マネジメント層が集まる共有寮で、さまざまな人と語り合う日々でした。その中で頭から離れない疑問があります。
「AI時代、インドはどこにいるのでしょうか」
AI時代の覇権争いにおいて、名前が挙がるのは米国の「OpenAI」「Anthropic」「Google」「Meta」、中国の「百度(Baidu)」「Alibaba」などです。IT強者といわれることもあるインド勢の名前を、AIという文脈で聞くことはほとんどありません。
この違和感の正体を追った結果、1つの輪郭が見えてきました。インドは不在ではなかったのです。私たちから見える場所にいなかっただけでした。そしてその輪郭の中に、日本のAI人材不足を解決するヒントが隠されていました。
インド企業が基盤モデルを作らないのは、作らない選択をしているからではないでしょうか。その背景にはインドのDNAがあります。
インドのIT企業は数十年にわたり、オフショア開発のサービスモデルで成功してきました。顧客の課題を解決し、人月で収益を得る。リスクは低く、予測可能で、株主に安定したリターンを提供します。
一方で、OpenAIがやっている基盤モデル開発は、数百億円から数兆円の先行投資、数年の開発期間が必要で、予測は難しい。サービス企業のDNAとは根本的に異なるプロダクト企業のDNAを持っています。この対比が両者の違いを明確に示しています。
インドにもR&D(研究開発)は存在します。しかし彼らの役割は基盤モデル開発ではありません。複数のAIサービスを統合し、社会の課題を解決する社会実装可能なソリューションの構築です。
しかし駐在2カ月目、私の仮説は大きく揺らぎました。2024年3月にインド政府が承認した「IndiaAI Mission」の詳細を知ったからです。予算1037億ルピー、日本円にして約1789億円を、インド国産基盤モデルの開発に投資するという計画です。この計画には以下が含まれています。
ここから分かったのは、インドは「作らない選択」をしたのではなく、民間企業が「AIを使う」、政府が「AIを作る」という二重の戦略を取ることにしたということでした。
民間企業は既存の生成AIを組み合わせた顧客課題の解決に特化しています。これなら低いリスクと予測可能な収益を確保できます。
反対に、政府はインド独自の基盤モデルを開発し、インドの言語や文化、価値観を反映したAIを構築しようとしています。これは米中の対立のように、突然OpenAIのサービスが使えなくなるといった安全保障、インド国民のデータの主権の保持、文化的独立、経済的自立が主眼に置かれています。
同じように日本のオフショアとしての地位を確立していた中国と比較してみましょう。中国が政府主導で全方位のAI覇権を狙うのに対し、インドは、AI利用は市場原理、AI作りは政府主導という、より柔軟なハイブリッド戦略をとっています。
私が見ていた「不在」の正体は、実は2つの異なるアプローチを同時進行する戦略でした。
インドで観察をして分かったのは、民間企業がAIを作るインセンティブがないという非常に冷静な経済合理性でした。
OpenAIが巨額の資金を投じて「GPT-5」を開発したとき、マネタイズの道は見えていませんでした。ChatGPTの爆発的成功は、ある意味で運の要素も大きいです。もちろん、書籍「サム・アルトマン」にあるようにそのための入念な下準備があってからこその運ではありますが。
一方で、インドをオフショアとしているような顧客は「動くソリューション」を求めています。既存の生成AIを組み合わせ、顧客業務に統合する。企業がAIで本当に価値を得られるのは、AIが業務に組み込まれた瞬間です。そしてこの「最後の1マイル」こそが最も困難なのです。
複数の大規模言語モデル(LLM)を並列評価し、コストや精度、レイテンシを基準に最適なモデルを選ぶ仕組み、企業のレガシーシステムとAIを接続するアダプター群、データガバナンスとセキュリティ、コンプライアンスの統合管理を一つのプラットフォームに入れること。これらには基盤モデル開発とは異なる高度な専門性が必要です。
もう一つ気が付いたことがあります。R&Dの研究論文や学会発表の実績を見ていると、インドは基礎研究ではなく実践的な研究が圧倒的に多いです。
私が天文学徒だったころの学会でもインド勢は実践的な発表が多かったように思います。当時「なぜインド人の発表は応用が多いのか」と思ったことを鮮明に覚えています。
では、このインドの実践主義はAIという文脈において弱みなのでしょうか。確かにノーベル賞級の基礎研究は少ないかもしれません。しかし、10億人以上の貧困、教育、医療、インフラという現実の課題を解決する技術力は世界トップクラスです。
そして今、多くの日本企業が自社プロジェクトで必要としているのは「ChatGPTのようなもの」を作る基礎研究者ではないはずです。製造現場にAIを実装できる、レガシーシステムをAI時代に適応させる、日本の品質基準を理解しながら動ける、そういう実践的な実装力を持つ人材です。
インドはAIを使えるようにする民間と、インドの諸言語や文化特化のAIを作る政府という二重戦略を走らせています。そして、その実践偏重の教育が生み出す人材は、日本が最も必要とする「AIを実装できる人材」と一致しています。
では、日本はこのインドとどう向き合い、どう協業できるのでしょうか。後編では、日本のAI人材不足という現実を直視し、インドとの補完関係をどう構築すべきかを探ります。
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