「SaaSの死」騒動の裏側 早めに知るべき“AIに淘汰されないSaaS”の見極め方久松剛のIT業界裏側レポート

生成AIの台頭で「SaaSの死」が囁かれていますが、その正体は投資家の期待と恐怖が招いた株価の動揺です。しかし、資本市場の冷え込みはIT部門に実害をもたらす可能性があります。IT部門が早めに知るべき“AIに淘汰されないSaaS”の見極め方を解説します。

» 2026年02月10日 07時00分 公開
[久松 剛エンジニアリングマネージメント]

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この連載について

DX推進、生成AI技術の進化が加速する今、企業のIT部門は戦略的な役割への変化が求められ、キャリアの転換点に立たされています。この現状を変え、真に企業価値を高める部門となるには新たな戦略が必要です。

本連載では、博士としてインターネット技術を研究し、情シス部長、SRE、エンジニアマネジャーとしてIT組織の最前線を知る久松剛氏が、ニュースの裏事情や真の意図を分析します。一見関係ないニュースもIT部門目線の切り口で深掘りし、IT部門の地位向上とキャリア形成に直結する具体策を提示します。

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 生成AI関連のニュースをきっかけに、SaaS企業の株価が大きく揺れる場面が続いています。AIサービス「Claude」の「Cowork」「Finance」といった新機能が発表されるたびに市場が過敏に反応する様子を見て、「株式市場は中学生のようにナイーブだ」と評した投資家がいたほどです。

 残念ながら、その評価は的外れとは言い切れません。これまでも株式市場やスタートアップの評価は、実務の進捗や実売上よりも、「雰囲気」や「起業家の物語」に左右されてきたからです。今、騒がれている「SaaSの死」という言葉も、「資本市場側の期待と恐怖が先行している」という状態にすぎません。しかし、この株価の混乱を「投資家が騒いでいるだけ」として無視できない理由も存在します。

 本稿では、AIブームと株価低迷の関係を分解し、その副作用が企業のIT部門や業務部門にどのような形で返ってくるのかを分析します。IT部門が早めに知るべき、生き残るSaaSと淘汰されるSaaSの境界線とは何でしょうか。

なぜSaaS企業の株価は「雰囲気」で上下するのか

 前提として、投資家の多くはITや業務の専門家ではありません。SaaSやAIが実際の業務でどのように使われているのか、どこが代替困難で、どこが脆いのかを理解している投資家は少数派です。そのため、「AIが全てを置き換える」「SaaSは不要になる」といった強いストーリーが出てくると、実務とは無関係にサービスの評価が大きく動きます。

 実務ベースで見れば、AIが台頭してもSaaSやSIerはすぐには消えません。業務フローの設計や監査対応、法令順守、他システムとの接続といった要件は、依然として人とシステムに依存しています。

 しかし、資本市場では「常に思春期のような投資家」に向けて魅力的なニュースを出し続けられなければ、事業運営に支障が出るのも事実です。体力がなく、これから述べるような条件を満たさないソリューションを提供している企業ほど影響を受けやすくなります。

エクイティもデットも厳しくなる構造

 ここ数年、SaaSに対するエクイティファイナンス(新株発行による資金調達)は既に滞り始めていました。上場を目指す企業、あるいは上場済み企業にとって、この1年で特にシビアになっているのが、上場基準としての時価総額です。東証グロース市場では、かつて「10年で時価総額40億円」が一つの目安だったものが、現在は「5年で100億円規模」を求められる空気感があります。

 投資家の興味が薄れ、上場基準が引き上げられる中で、SaaS企業のエクイティ調達は難易度を増しました。その代替としてM&Aが活性化しましたが、今回の株価低迷騒動は、その流れに追い打ちをかけた可能性があります。さらに、米国の金融・経済情報メディアの「Bloomberg」(ブルームバーグ)によると、米国ではソフトウェア産業に対して「回収の見込みが怪しい」という理由から、ローン審査が厳格化されているという報道もあります。

 重要なのは、ここで起きているのが「突然の環境変化」ではなく、「時間をかけて進行してきた前提の書き換え」だという点です。

 投資家は「将来の夢」にお金を出し(エクイティ)、銀行は「確実な返済」にお金を貸します(デット)。その両方が同時に厳しくなるということは、資本市場がSaaS企業に対して「物語」ではなく「持続性」を求め始めているということを意味します。これは、短期的な調達戦略ではなく、事業の足腰そのものが問われる局面に入ったことを示しています。

「消えにくいSaaS」の特徴

 では、実務の世界ではどういったSaaSが残るのでしょうか。ここでは、業務の視点から見て「消えにくいSaaS」の特徴を整理します。

インターオペラビリティが前提のSaaS

 企業間でまたがって使われるSaaSは簡単にはなくなりません。チャットや電子メール、ID管理などが典型例です。このようなサービスは、SMTPやIMAP、HTTPといった事実上の標準として機能するプロトコルや仕様に基づいて相互接続されています。

 業務利用において、各社が独自実装で相互接続するための開発や接続のコストを払う意味はほとんどありません。趣味としては楽しくても業務では成立しないのです。

監査対象になるSaaS

 会計や決済、権限管理など、お金や責任に直結する領域のSaaSも消えにくい存在です。自作システムを使えば監査対応に関する負担は極めて重くなります。私自身、上場準備の際、SaaSによって実装のレビューやデプロイフロー、権限管理などを細かく見られるようになった経験があります。

 10年ほど前からSIerのエンジニアが監査法人にまとめて転職する流れがあり、多くの「システムの実装まで見抜けるプロ」が監査側に回っているため、独自開発のシステムで監査を通すのは至難の業です。こうした環境でSaaSを使わない理由を説明する方がよほどコストがかかります。

深いドメイン知識が必要なSaaS

 会計や法務、労務など、専門知識と継続的な法改正対応が求められる分野も、SaaSの価値が残りやすい領域です。AIが補助できる部分が増えても、最終的な検証や責任は人間が負う必要があります。知識の更新コストをSaaSが引き受けてくれるという価値を簡単には代替できません。

リスクが高いSaaSの特徴

 逆にリスクが高いのは、「頑張れば担当者が『Microsoft Excel』で管理できる複雑さ」しか持たないSaaSや、「多少データが誤っても業績に影響はない」領域のツールです。こうしたSaaSは、業務フローの中で必須になり切れておらず、資本市場が冷えたタイミングで退場する可能性があります。

「SaaSの死」がIT部門に与える本当の影響

 今回の騒ぎがIT部門に与える最大の影響は株価ではありません。それは「突然のサ終(サービス終了)」です。多くの企業においてバックオフィスの業務フローにマイナーなスタートアップのSaaSが組み込まれています。中には「役員の知人」「付き合い」「バーター取引」などの理由で採用されたものもあります。

 SaaSはWebで完結するものが多く無料枠もあるため、正式なワークフローを通らずに導入された「野良SaaS」も少なくありません。こうしたツールが突然止まると、業務は簡単に破綻します。

サ終への備えは平時にしかできない

 サ終は非常時に起きます。だからこそ、終了に向けた準備ができるのは平時のみです。資産管理システムによるSaaSの棚卸し、SaaS管理ツールの導入、業務フローとSaaS依存の可視化は、今後ますます重要になります。「このSaaSが止まったら何が起きるか」を事前に把握しておくことが、IT部門と経営の共通課題です。

 ここで重要なのは、この備えがIT部門任せでは成立しないという点です。SaaSの導入理由や停止時の影響は、業務部門や経営判断と直結します。どの業務が止まり、どの顧客や取引に影響が出るのかを把握するには、業務責任者や経営層の関与が不可欠です。SaaS管理は単なるIT資産管理ではなく、業務継続性と経営リスクを可視化する取り組みだと捉える必要があります。

結論 「SaaSの死」は株価の話で実務は別の戦場にある

 今回の「SaaSの死」騒動は、実務的なものではなく株価的なものです。しかし、資本市場の動揺は、確実に企業へ波及します。だからこそ、IT部門と経営層は「市場の雰囲気」と距離を取り、業務として残るSaaSと、消えやすいSaaSを冷静に見極める必要があります。

 SaaSが不要になるのではありません。不要になるのは「実務に組み込まれていないSaaS」です。そこを見誤らなければ業務は止まりません。

著者プロフィール:久松 剛氏(エンジニアリングマネージメント 社長)

 エンジニアリングマネージメントの社長兼「流しのEM」。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学で大学教員を目指した後、ワーキングプアを経て、ネットマーケティングで情シス部長を担当し上場を経験。その後レバレジーズで開発部長やレバテックの技術顧問を担当後、LIGでフィリピン・ベトナム開発拠点EMやPjM、エンジニア採用・組織改善コンサルなどを行う。

 2022年にエンジニアリングマネージメントを設立し、スタートアップやベンチャー、老舗製造業でITエンジニア採用や研修、評価給与制度作成、ブランディングといった組織改善コンサルの他、セミナーなども開催する。

Twitter : @makaibito


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