住友商事が9000人の従業員にMicrosoft 365 Copilotを導入し、年間12億円の削減効果を算出。驚異的な数字の妥当性と、わずか2名で推進した大規模体制の裏側に迫る。
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2024年、住友商事は海外グループ会社を含む約9000人に対して、「Microsoft 365 Copilot」(以下、Copilot)の一斉導入を断行した。1ユーザー当たり月額約4500円のライセンス費用を全員に付与するという大胆な判断の背景には、「生成AIが当たり前になる時代に乗り遅れない」という明確な意図があった。
導入から8カ月が経過した2024年12月時点で、同社は2024年度(2024年4月〜2025年3月)の見込み値として、年間約12億円のコスト削減効果を算出した。ライセンス費用が年間4〜5億円規模であることを考えれば、十分に「元が取れている」計算だ。しかし、この数字はどこまで信頼できるのか。そして、大規模な組織でどのように推進体制を構築し、ユーザーの行動変容を促したのか。
同社で「Microsoft 365」の運用・推進を担当する浅田和明氏(IT企画推進部 インフラシステム第二チーム)に、Copilot導入の実態と、そこから見えた課題について聞いた。
Copilotの効果測定について、浅田氏はまずMicrosoftが提供する「Copilotダッシュボード」の仕組みを説明した。
「Copilotダッシュボードでは、1アクションあたり6分の削減と見なして累積削減時間を算出する機能があります。ここでいう1アクションとは、プロンプトを送信したり、メールの要約ボタンを押したりといった、生成AIを動かす操作のことです。ただ、1アクションで本当に6分も削減できるのか、という疑問がありました」
仕組みはこうだ。テナント全体のアクション回数に6分を掛け合わせることで、総削減時間が算出される。その削減時間に平均時給を掛ければ、金額に換算できる。しかし、この「1アクション=6分」という前提が本当に正しいのか。この疑問を払拭(ふっしょく)するため、浅田氏は独自に検証した。年に1度実施するユーザーアンケートで、Copilotのアクションごとの削減時間を自己申告してもらったのだ。
「例えば、『Microsoft Teams』(以下、Teams)での要約、『Microsoft Outlook』(以下、Outlook)の電子メール下書き作成といった主要アクションごとに、『1アクションあたり、月間どれぐらい削減できたと思いますか』と聞きました。その平均値を算出し、全体のアクション回数と照らし合わせて検証したところ、Microsoftが示していた1アクション6分という数字とほぼ一致することが確認できました」
2024年度の調査では約1300人、2025年度には約2300人から回答を得た。この規模のアンケートで裏付けを取ったことで、Microsoftの試算の正確性が確認できたという。
ただし、2025年度に入ってから状況は複雑化している。「Copilot」に「リサーチツール」やその他のエージェント機能が追加され、基盤モデルも進化した。特にリサーチツールは、人力なら1週間かかるような調査業務を数分から数十分で完了させる。このため、従来の「1アクション=6分削減」という計算式では、実態とかけ離れた数字が算出されてしまう。「新たな検証方法の確立が課題」と浅田氏は言う。
こういった課題はあるものの、アンケート回答ベースでの1人あたりの月間削減時間は、2024年度の約4時間から2025年度には約9.5時間へと倍増した。従業員の自己申告とはいえ、大きな成果が生まれていると言えそうだ。
住友商事のIT企画推進部は、部全体で8チームあり、プロパー社員だけで60人、外部協力者を含めると90人、海外駐在員も合わせれば100人を超える規模だ。
その中で、Microsoft 365の実務を担当するのは浅田氏を含めてわずか2人。Microsoft 365全般を対応する既存のヘルプデスクが存在するが、Copilotについての質問はこのヘルプデスクでは受け付けていない。製品アップデートが激しく、既存体制では追いつかなかったためだ。浅田氏は、「Microsoft Viva Engage」にユーザーコミュニティを立ち上げ、直接質問を受け付ける体制に切り替えた。
「ユーザー同士で情報交換してほしいという思いから、コミュニティで質問を投げてもらっています。質問と回答を閲覧した他のユーザーの参考にもなると考えています」
単なる省力化ではなく、ユーザー同士が教え合う文化を醸成し、「Copilot Champion」というアンバサダー制度とも連動させることで、組織全体での自律的な活用を促す狙いがあるという。
住友商事がCopilotライセンスを付与している約9000人は、正社員だけではない。派遣社員や出向者、業務委託メンバーなど、「住友商事の業務を担っている全ての方々」(浅田氏)にもライセンスを提供している。この全員導入の実現には、浅田氏の地道な働きかけがあった。2023年度の時点で、まだCopilotの日本語対応が不十分だった頃から経営層に対して導入を提言していたのだ。
浅田氏の論点はシンプルだった。PCやWeb会議ツールは、今では業務インフラとして当たり前に使われており、それらの投資対効果を厳密に問う企業はない。生成AIも同様に、近い将来、業務インフラとして不可欠なものになる。であれば、早期に導入して組織全体が慣れておくべきだ。そうした提言が経営層に受け入れられ、2024年4月、グループ全体への一斉導入が実現した。
しかし、次年度の継続は確約されていなかった。2025年4月のMicrosoftライセンス3カ年契約更新のタイミングで契約ライセンス数が大幅に削減される可能性もあった。そのため、2024年12月の諮問委員会での報告が正念場となった。
「胃をキリキリさせながら説明を考えました。12億円削減という効果を示して、経営のお墨付きをもらいました」と浅田氏は振り返る。これによりCopilotの継続利用が正式に決定し、本格的な展開フェーズに入った。
Copilotによって月間9.5時間の削減効果が出ているにもかかわらず、住友商事の全社的な残業時間は「微減」にとどまっている。残業時間の減少が限定的である理由は、同社の働き方の特性にある。
住友商事は総合商社として、各部署が独立的に運営されている。扱う商材も取引先も部署ごとに全く異なるため、業務の標準化は困難だ。削減された時間は、新しい投資案件の検討や既存事業のバリューアップ施策など、別の業務に充てられる。そのため、業務が効率化されても、単純に残業時間が減るわけではない。
実際、アンケートで「削減した時間をどう使っているか」を聞いたところ、1位は「残業時間が減った」だったが、2位以降は「顧客対応やマネジメントなど本来業務により力を入れている」「情報収集・リサーチ系の業務」「新しい施策の作成・実行」と続いた。
「生成AI導入の本来の目的は創造性やクリエイティビティを高めることです。残業時間を減らすことを第一目標にはしていません。むしろ、削減された時間を、より価値の高い業務に振り向けることを重視しています」
浅田氏が強調するのは「ポテンシャルを解放する」というキーワードだ。ルーティンワークから解放された時間を、より本質的な価値創造に振り向ける。それこそが、総合商社である住友商事にとっての真の効果だという。
効果測定以上に難しいのが、ユーザーの行動変容だ。生成AIを特別なツールとしてではなく、電子メールやTeamsと同じように日常業務で当たり前に使う習慣を根付かせる必要がある。
多くのユーザーは、生成AIに「1回の操作で劇的に業務時間を削減できる」という過度な期待を抱く。しかし、こうした使い方では期待した結果が得られず、「使えない」と判断してしまうユーザーも多いという。そこで浅田氏が推奨するのは、日常業務での小さな積み重ねだ。
「普段の業務でどんどん使ってほしいとユーザーには伝えています。例えば、3分かけて電子メールを読んでいたのを、Copilotが要約したものを1分で読む。そんな使い方を習慣にしてもらうことが大切です」
こうした小さな成功体験の積み重ねが、やがて組織の「文化」になる。そのために浅田氏が最も力を入れているのが、既存の業務プロセスそのものを見直させることだ。社内セミナーを通じて、ユーザーの意識を変える取り組みを続けている。
典型例が「議事録」をめぐる議論だ。社内で「生成AIで議事録を効率化したい」という声が大きくなったとき、浅田氏はセミナーでこう問いかけた。
「生成AIといえば議事録作成と思われがちですが、議事録って作っても読み返さないことが多いですよね。どちらかというと、後で言った言わない議論を防ぐための証拠として作っているのではないでしょうか」
議事録を作ることが仕事の目的ではない。本来の目的は会議を通して業務を前に進め、価値を生み出すことだ。であれば、会議前の準備、会議中の壁打ち、会議後のフォローアップという業務プロセス全体で生成AIを活用すべき。こうした本質的な問いかけを、セミナーで繰り返し伝えることで、ユーザーの意識を変えようとしている。
浅田氏がユーザーの教育にこだわるのには理由がある。昨今、AIエージェントが注目を集めており、住友商事でも活用方法を検討しているが、現状のままエージェント化を進めれば、大きな問題が生じると考えているためだ。
既存の業務プロセスとアウトプットを変えないまま、ユーザーの要望に応じてAIエージェントを受託開発的に作っていけば、変数が多すぎて改修の連続になる。あるいは、AIの不確実性を受け止めきれずに「品質に満足できない」という不満が続出する。
実際、住友商事では一部ユーザーにエージェントビルダー機能を開放しているが、全面的な開放には慎重だ。
「自分の業務プロセスを変えずに『生成AIを使えば楽できそう』と期待する人もいますが、AIが期待通りに動いてくれるとは限りません。まずはCopilotを使って、業務プロセスやアウトプットを見直す経験を積んでもらうことが重要です」
住友商事のCopilot導入は、効果測定の手法確立からユーザー教育、AIエージェント化への布石まで、大規模組織における生成AI活用の実態を示している。効果測定の方法など課題も残されているが、全社で12億円、1ユーザー当たり月間9.5時間という削減効果は大きい。生成AIブームも一服し、企業がその導入効果を求められる時期に入る中、住友商事のような先進事例は多くの日本企業の参考になるのではないだろうか。
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