AI推進は5人、削減見込みは年間5600時間 京進が“PoC止まり”を抜け出せた理由

京都の学習塾運営企業、京進では、全社の生成AI活用を5人のチームが担う。面談録音アプリなどの実証実験で手応えを得たが、本番運用を前に想定外のコストが立ちはだかった。グループ約7500人の現場にAIを定着させるため、同社が凝らした工夫とは。

» 2026年10月29日 07時00分 公開
[指田昌夫,ITmedia]

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京進の吉川信幸氏(編集部撮影)

 グループ約7500人の現場に向けた生成AIの活用環境を、わずか5人のチームで整える。京都に本社を置く学習塾運営企業、京進は、面談記録や社内問い合わせ対応などのAIアプリを試作で終わらせずに実運用段階へ進め、年間約5600時間分の業務削減効果を見込む。だが、本番運用を前にAPI利用料が想定を上回るなど、その道のりは順調ではなかった。

 PoC(実証実験)の先で何につまずき、どう乗り越えたのか。プロジェクトの責任者がイベント「IF Con Tokyo 2026」で語った。

本稿は、LangGeniusが主催したイベント「IF Con Tokyo 2026」(開催日:2026年9月10日)で京進の吉川信幸氏(経営情報企画部 広報エリア Web開発課 上席課長)が「〜PoCから実運用へ〜京進グループにおける教育・介護現場でのDify活用と市民開発戦略」というテーマで講演した内容を編集部で再構成したものだ。

5人のチームで7500人の現場にAIを届ける 労働集約型ビジネスの挑戦

 京進は、関西を起点に全国約500拠点を展開する教育サービス企業だ。同社の事業は学習塾事業、語学関連事業、保育・介護事業の3事業を中核としている。個別指導塾「スクール・ワン」の他、東京エリアを中心に展開する保育園「HOPPA」、介護施設や日本語学校などを運営している。グループ従業員数は約7500人で、正社員が約2000人、残りは個別指導塾などで指導を担当する大学生などのアルバイトとなっており、現場拠点で直接顧客へサービスを提供する従業員が多いことが特徴だ。

 同社で広報やWebマーケティングを担当する吉川信幸氏は、2024年3月から全社の生成AI活用を推進するリーダーを務めている。吉川氏はマーケティング分野でキャリアを重ね、2019年に京進へ入社した。

 「全社の生成AI推進を担う体制は、経営企画と情報システムの機能を併せ持つ経営情報企画部が統括している。この部署内の5人のチームが、グループ全体7500人の従業員に向けた生成AIの活用環境を整え、現場業務への定着を進めている」(吉川氏)

 学習塾や保育園、介護施設といった事業は、現場における人の対応が価値の源泉となる労働集約型のモデルだ。サービス提供に人が直接介入するため、人力のみに頼った生産性向上には物理的な限界が存在する。その中で同社は、2035年に売上高400億円(現在の約1.5倍)を達成する目標を掲げており、業務プロセス全体の効率化は避けられなかった。

 「昨今のAI活用では、人にしかできない付加価値業務へのシフトが重視されている。当社もこの考え方に注目し、全体の大半を占める現場スタッフにAIやDXの成果を届けることを重要テーマに定めた」(吉川氏)

 その上で、最初の取り組みテーマとして、現場の業務で日常的に交わされながらも、記録されずに消えていた音声データに着目した。

 「現場での会話にはサービス業のノウハウが詰まっているが、これまで記録されていなかった。生成AIを使えば、会話の音声を取り込んで活用することができると考え、最初のテーマに選んだ」(吉川氏)

2018年から準備ができていた「AI内製化」の土台

 AI活用のユースケースが決まると、実運用を意識したシステム開発の検討に入った。

 具体的な検討に当たってベースとなったのは、過去10年間にわたって進めてきたIT基盤の整備だった。同社は2017年ごろから、M&Aに伴う事業拡大に対応するため、グループ統一のITシステム構築に着手した。2018年には全社グループウェア「desknet's NEO」を導入し、このシステムの拡張機能である「AppSuite」を活用して、問い合わせ受付や情報収集をするデータベース画面をノーコードで業務に合わせて構築する環境を整えていた。当時から、システムを外部から購入するだけでなく、自社で構築する内製化に取り組んでいた。

 また生成AIに関しては、2023年にユーザーローカルのチャットAIなど、汎用AIの利用を開始した。2025年からは自社データを取り込んだプライベートAIの開発へ移行し、AIシステムの開発プラットフォームである「Dify」の導入に至った。

 吉川氏は、1年前の2025年10月に開催された「IF Con Tokyo 2025」にも参加しており、各社の講演を聴講した。「多くの登壇企業が、自分たちでアプリを作れるようにすることの重要性を語っていた。それを聞いて、当社が進めてきたローコード開発の文化をAI時代に生かせる確信を得た」(吉川氏)。その後、Difyの開発企業であるLangGeniusとエンタープライズ契約を結び、定期協議を通じた現場主導のアプリ開発体制を整えていった。

 同社が生成AIプロジェクトのPoCに選んだのは、「音声データを活用した面談録音アプリ」と「マニュアルサイトのRAG化」だった。まず、面談録音アプリは、教室での生徒や保護者との面談や、介護現場での管理職と社員の対話など、記録に残りにくかった音声を解析する仕組みだ。Difyのワークフローで音声を文字起こしし、要約や所見を自動で作成してグループウェアへ格納する仕組みを開発した。

 「ユーザーの操作は、録音開始と停止のみに絞り込んだ。現場で消えていく音声こそが宝であり、暗黙知を形式知化できれば、全社のノウハウにすることができる」(吉川氏)

 本アプリは単なる議事録作成にとどまらず、生徒の成績を伸ばしている講師の面談傾向を分析し、成果につながる指導の“形”を共有する仕組みを目指している。音声を単一の個人環境に閉じず、Difyを介してナレッジとして解析できる点が採用の決め手となった。

 もう一つのマニュアルサイトのRAG化は、例えば教室でのWi-Fi接続不具合などの問い合わせに自動回答するbotだ。「WordPress」で制作した既存のマニュアルページや、そのページ内に貼り込まれている対処法が書かれたPDFファイルをナレッジとして読み込み、回答を生成する仕組みとした。

 「既存のマニュアル更新作業と連携させることで、Difyで開発するアプリにナレッジを再登録する必要がない。現場に新たな業務負担をかけない工夫を施した」(吉川氏)

工数削減効果を自動算出する評価の仕組み

 今回の二つの実証実験では、事前に全社展開のための評価軸(KPI)を設定し、経営陣が定量的な指標で判断できるよう工夫している。面談録音アプリのKPIは「現場の納得感70%以上」とした。これは、評価が70%を下回るとツールが定着しないという研究データに基づいている。またマニュアルサイトのRAG化では「回答精度90〜95%」を指標とした。

具体的な数値をKPIとして定めた(出典:吉川氏の講演資料)

 加えて、工数削減効果を自動的に算出する仕組みを採り入れている。Difyのアプリによる処理時間と、それを手作業で実施したときの時間の差分をAIが算出し、削減時間として積算する仕組みをワークフローに組み込んだ。具体的には、面談議事録を手作業で作成する時間や、マニュアル検索にかかる時間をAIが自動推定し、グループウェアへ記録する。吉川氏は「削減効果を自動で見積もり、積み上げる仕組みを最初から入れたことが、本番運用の判断を明確にした」と語る。

 検証期間中、17人の参加者による社員面談議事録の利用件数は281件。精度評価でのGood率は76.5%となり、目標の70%を上回る結果が得られた。また、削減時間は147.3時間と記録された。これらを基に年間効果を試算した結果、社内問い合わせbotで約1250時間、大学受験部面談記録で約2350時間、社員面談記録化で約120時間、各事業部でのアプリ内製で約1900時間となり、合計で、年間約5600時間分の業務削減効果を見込む。

5600時間の削減を見込む内訳(出典:吉川氏の講演資料)

 一方で、本番運用に向けた課題も明らかになった。社内で最も多く指摘されたのは、AIのAPI利用料の増加だ。当初は1分当たり約1円がかかっており、記録する面談の数が多いためにコストが想定を上回った。そのため、開発チームでは音声を書き起こすAIモデルを、別の開発企業が提供する1分当たり約0.1円(10分の1)のモデルに置き換えている。吉川氏は、「いったん作ったワークフローを変えずに、モデルだけを差し替えられる、Difyの柔軟性を生かすことができた」と語る。

現場が作る現場向けアプリを増やしていく

 今回の検証プロジェクトを通じて吉川氏は、現場業務を熟知する人物がツール作成に関与しなければ現場に定着しないと実感したという。「実は昨年のIF Con Tokyoのときにも多くの企業がそう語っていた。しかし自社でやる段になり、すっかり忘れていた。現場のリアルを知る人が開発できる形に変える必要がある」(吉川氏)

 だが、現場スタッフの多くはシステム開発のスキルを持っていない。ワークフローを一から作るのは難しいと想定された。「そこで、Difyでワークフローを作るためのアプリを、Dify自身で作った」と同氏は話す。

 また、アプリが増えてくると課題となるガバナンスについては、現場で開発者と利用者の権限を「AIマスター」「準マスター」「現場社員」の3階層で区分する運用ルールを定めた。

 PoCの評価を経て、京進の生成AI活用は実運用段階へ進んでいる。吉川氏は、「成功の要因は、まず使う立場に立ったツール設計、次に現場に近い人物による作成環境の整備、そして削減効果を自動積算する仕組みの初期実装、この3点だった。今後は、現場でアプリを作る人をさらに増やしていくために、環境を整えていく」と話した。

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