エクスペリエンス創造を成功に導く3つの条件eビジネスが生み出すエクスペリエンス(8)

» 2002年05月08日 12時00分 公開
[鈴木貴博(ネットイヤーグループ株式会社),@IT]

今回の内容

  • 新しい体験を先取りできる街・渋谷
  • エクスペリエンス設計、失敗の3パターン
  • テクノロジ・ハッピー(サービス精神の不在)
  • 小粒な勝利(小さすぎる適用市場)
  • 砂上の楼閣(未整備なインフラ)

新しい体験を先取りできる街・渋谷

若者の街・渋谷は、eビジネスの面でも最先端の実験が行われる

 私が毎日通っている渋谷の街は、いつも新しいことが起きている。先日、何げなくマクドナルドに入ったら、カウンターの上にあるメニューのパネルが映像用のプロジェクタに変わっていた。コンピュータで制御された商品メニューの画像が次々と入れ替わりながらカウンター上に表示されてゆく。確かにこれは斬新なメニュー表示のやり方だし、待ち行列の間、眺めていても飽きない。そういえばこの店は、店頭でのプレミアムコーヒー販売を導入したのも最初だった。マクドナルドの渋谷実験店舗といったところだろうか。

 渋谷のセルリアンタワーにあるセブン-イレブンでもいれたてのカフェラテが飲める。自宅近辺のセブン-イレブンにないところをみると、これも渋谷で実験的に導入しているのだろう。また、私はレンタルビデオのTSUTAYAの会員なのだが、TSUTAYA(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)の子会社ツタヤオンラインが運営するTSUTAYA onlineからも、渋谷店の会員にはさまざまなキャンペーンのお誘いがくる。割引クーポン半額のときもあれば、レンタル1回100円など、1カ月の間にずいぶんいろいろなオファーがきた。TSUTAYAではこのキャンペーンに対する反応を用いて細かなデータマイニング分析を行い、どのようなキャンペーンがどのような消費行動につながるのかを、詳細に把握しようとしている。

 東急電鉄で実験が行われていた「goopas (グーパス)」も新しいエクスペリエンスを生み出そうという試みの1つだ。goopasの仕組みは、あらかじめ会員登録しておくと、定期券で東急電鉄の駅の自動改札を出た直後に、降車駅近辺のお得な情報メールが携帯電話に送られてくるというものだ。先日、goopasを企画している企業と意見交換をした際に、ネットイヤーグループのクリエイターから出た一言は印象的だった。「これからは改札を出るのではなく、渋谷の街にチェックインする感覚になりますね」。まさにそのとおり、同じ行動を取ってもこれまでとはまったく違った経験となる、そんな経験こそがエクスペリエンスと呼ぶにふさわしい。

エクスペリエンス設計、失敗の3パターン

 さて、約1年弱にわたってITが生み出す新しいエクスペリエンスについて、さまざまな角度から語ってきた。冒頭でちょっと触れたように、今日も東京のどこかで新しいエクスペリエンスを生み出すさまざまな実験が行われている。しかし、残念ながら大半のエクスペリエンス創造の試みは失敗に終わる。ごく少数の成功例と大多数の失敗に終わるケース──エクスペリエンス創造とはそれほど厳しいものなのだ。

 なぜ、新しいエクスペリエンス創造がうまくいかないのか。ネットイヤーグループではエクスペリエンス創造のプロセスを詳細に検討し、エクスペリエンス・マネジメントのメソッドを開発してきた。エッセンスだけを述べれば、世の中で失敗する試みは大きく3つのカテゴリに分けてとらえることができると分かった。それらは、

  • テクノロジ・ハッピー(サービス精神の不在)
  • 小粒な勝利(小さ過ぎる適用市場)
  • 砂上の楼閣(未整備なインフラ)

という3つの分類である。図1のように表してみると捉えやすいのだが、一言でいえば「ITエクスペリエンスが成功するためには、技術インフラ、適用市場、サービス内容の3つがすべて非常に良いタイミングでそろうことが必要条件」ということになる。失敗した多くのエクスペリエンスは、この3つの条件をうまくそろえることができなかったものばかりといっても過言ではない。

図1 エクスペリエンス設計成功・失敗のパターン 図1 エクスペリエンス設計成功・失敗のパターン

 最終回の今回は、この各パターンについて説明していきたい。IT企業の方々には特に、これを将来のエクスペリエンス創造のヒントにしていただきたいと思う。

テクノロジ・ハッピー(サービス精神の不在)

 ネットイヤーグループはインターネットにフォーカスした統合型のコンサルティングファームだ。毎日のようにクライアント企業からさまざまな相談を持ち掛けられる。そうした依頼の中で内容的に最も多く、かつ対処の処方せんが確立できているのが“テクノロジ・ハッピー”と呼ばれるタイプである。

 「新しい技術を活用するとこんなことが可能になる」というアイデアは、主にメーカー系企業や、システム部門のように技術に強い組織から発信されることが多い。確かにアイデアを聞くと、目の付け所が面白い。もしも実現したら新しいエクスペリエンスをもたらす可能性も感じる。ところが、技術者はここまでのアイデアで事業成功を確信してしまう。そこに大きな落とし穴がある。

 そもそも、なぜWebを活用したビジネスがこれほど使いにくいのか。Webで作られるページはそれ自体がサービス窓口であり、店舗なのだが、それを運営している母体は多くの場合製造部門であったり、開発部門だったりする。これがWebの使いにくさの大きな理由だと感じている。

 そもそもインターネットの出現で、直接エンドユーザーを巻き込んだ新しいビジネスモデルが出現したのだが、これは裏を返せばこれまで商売に縁のなかった人々が急に商売のことを考えるようになったような状況が日本中、いや世界中で起きてきたわけだ。

 「おいしいハンバーガーのレシピを考案したので、これをチェーン展開して事業化したい」という事業アイデアは、そのレシピが素晴らしければ事業化の可能性が大いにある。その一方で、本当にサービス業として事業化するためには、材料の調達、店舗の立地開発、店舗デザイン、従業員教育、オペレーションの標準化など、やるべきことが山積する。ITの世界でも本質は同じなのだが、それに気付いている者はまだまだ少ないのである。

 結果として日本中のWebサイトは、JRが民営化した直後のようなサービスと呼べないサービスだらけになってしまった。このように、サプライサイドの論理が先行してサービスレベルが低い状況を、技術サイドだけが満足しているという意味からネットイヤーグループでは“テクノロジ・ハッピー”と呼んでいる。

小粒な勝利(小さ過ぎる適用市場)

 例えば録画したテレビ番組を手軽にPDAで持ち出して電車の中で見ることができたらどうか、といったアイデアがこのカテゴリに入る。ソニー VAIOのGigaPocketの機能と、画像処理機能を持ったCLIEを組み合わせれば、これは簡単に実現できる。現に私は毎日、テレビ東京のワールドビジネスサテライトをVAIOで録画して通勤電車でニュースを視聴している。しかも非常に便利である。

 私がこの便利さを周囲に強調すればするほど、返ってくる返事はいつも同じだ。「へえ、鈴木さんってやっぱり変わっているよね」。まあそのとおりというか、そこまでやって時間のすき間を埋めようとする人は日本人全体の1%にも満たないと思う。

 さて、こうしたアイデアをビジネスとする場合の問題は、新しいエクスペリエンスの適用市場がどの程度見込めるのかということだ。例えば、携帯電話の業界では3Gすなわち第3世代携帯電話の実験が盛んに行われてきている。DoCoMoでいえばFOMAと呼ばれる製品がこの世代の携帯電話に当たる。確かに動画も送れるし、高速モバイルインターネットの機能としては十分な機能を備えている。しかし、どれだけの人間がこれを必要としているのかという点で、ビジネスとしては行き詰まっている。DoCoMo自身も2005年までのロードマップの中で、FOMAよりも現行の第2世代(PDC方式)規格の携帯電話があくまで主流であることを認めている。

 このカテゴリに入る試みは、ほかにも携帯電話でコカ・コーラが買えるCmode(シーモード)Lモード、自治体が旗振りをしている中小企業ポータルや地域ネットワーク構想など、非常に数は多い。

 どの試みも「それをだれがどんなときに使うのか」という問いに答えが出せずに苦しんでいる。「それってどう使うと便利なの」という単純な問いに答えられないまま、大規模な実験投資を行っても得られるものは少ないに違いない。逆のいい方をすれば、このような状況の試みに対する処方せんは、多くのユーザーが毎日使うキラーアプリを早く見つけて、それをいち早く取り入れることにほかならない。

砂上の楼閣(未整備なインフラ)

 セガのドリームキャストが昨年12月に製品出荷を停止した。ハードメーカーとしてのセガの終えんが、ゲーム業界に与えた影響は大きい。セガの総帥であった故大川功氏は、ネットワークが家庭につながる未来を実に古くから思い描いていた。

 例えば1992年ごろ、まだインターネットのイの字も世間で知られていない時代に、セガの商品に「ゲーム図書館」というものがあった。これはセガから発売されているメガドライブ(米国でジェネシスと呼ばれ、ファミコンと市場を二分したセガの16ビットゲーム機。日本ではいまひとつ売れなかった)に別売りのモデムを接続することで、セガ本社のサーバから毎月新しいゲームをダウンロードして、いつでもさまざまなゲームを楽しめるという製品だった。恐らく、時代が時代であればこの製品は成功していたかもしれない。しかし、生まれるのが早過ぎた。電話回線を通じてプログラムをダウンロードするスピードが、この時代はまだ現在の25分の1しかなかったのである。

 私も自宅にこの機種を持っていたのだが、なんせ1つのゲームをダウンロードするのに50分もかかってしまう。しかもフラッシュメモリのない時代なので、電源を切るとダウンロードしたプログラムは消えてしまうのだ。次の日にまた遊ぼうと思ったら、電源を入れ放しにするか、もう一度50分かけてダウンロードしなければならない。

 時代が進みセガサターン、ドリームキャストとセガ製品は常にネットワークとの親和性を前面に押し立任天堂、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)と対抗していこうとしてきた。しかし、常に早過ぎたようだ。

 ドリームキャストが出荷停止をした2002年、皮肉なことにゲーム機をベースにしたインターネットが業界の注目を浴びている。マイクロソフトのXbox、SCEのPlayStation 2、任天堂のゲームキューブはすべてゲーム機だけでなくリビングルームのインターネット端末としての機能を兼ね備えている。セガと同じ構想が、いまになって業界の主力構想となってきている。

 このような現象は歴史の皮肉でも何でもなく、非常に頻繁に起きる現象である。ビジネスモデルを構想する立場の人間が文科系ビジネスマンで、市場ニーズや事業モデルに特化した自信を持っていればいるほど、われわれが「砂上の楼閣」と呼んでいる陥穽にはまってしまう。

 彼らは技術的なロードマップやインフラの浸透スピードを、読み解く力と知識を備えていないからである。私が以前在籍していた経営コンサルティングファームのような業種でも、非常に頻繁にこのような錯誤が起きる。2年先、3年先の技術やインフラの普及を前提に今日の製品を語ってしまうといった誤りである。

 逆に十分なアプリケーションを持ったエクスペリエンスを、技術インフラの進化のタイミングとドンピシャで合わせてきた場合の発展力はものすごい力を持つ。SCEの久夛良木社長が、CG処理能力を持ったチップの開発ロードマップをにらみながら、1994年にPlayStation発売のタイミングを合わせてきた話は有名である。技術、ビジネス双方の構想力にたけた稀有なビジネスマンが仕掛けてきた、極めて戦略的なやり方で、世の中にはこのようなケースは少ない。あえていえば、早過ぎた無料インターネット接続サービス「ハイパーシステム」で倒産したハイパーネット社時代に“砂上の楼閣”の恐ろしさを身をもって体験した夏野剛氏が、iモードを仕掛ける際に大成功したのがもう1つの成功例かもしれない。

 “砂上の楼閣”現象は3パターンの中で最も処方せんの書きにくいパターンである。久夛良木氏、夏野氏のような特別な人間でないものがこれに対応するには、技術、ビジネス、エクスペリエンス設計の3分野のエキスパートが力を合わせ、プロジェクトとしてエクスペリエンス・マネジメントを行っていくほかに方法はないと考える。


 最後になったが、これまで、1年近くにわたってエクスペリエンスが社会をどう変えていくことができるのかを論じてきたが、この数年間のITの社会への浸透には目覚ましいものがある。新たなエクスペリエンスの登場を予感させる時代がきたことは間違いない。ネットイヤーグループは組織として新しい社会を実現させることをミッション(使命)と表明している。ここまで述べてきたことが、1日も早く、1つでも多くのエクスペリエンス創出に貢献できれば、この連載を執筆してきた意味がある。そう願いながら、今日も革新の生まれる街・渋谷へとチェックインしていこう。


「eビジネスが生み出すエクスペリエンス」は、今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。


連載記事の内容について、ご質問がある方は<@IT IT Business Review 会議室>へどうぞ。

著者紹介

鈴木貴博(すずき たかひろ)

ネットイヤーグループ株式会社取締役SIPS(ストラテジック・インターネット・プロフェッショナル・サービス)事業部長。SIPS事業部全体のマネージメントを担当している。組織改編以前は取締役チーフストラテジックオフィサー(CSO)としてビジネス戦略に携わる。

ネットイヤーグループ株式会社入社以前は、コンサルタントとしてボストンコンサルティンググループに勤務。ビジネス戦略コンサルティングを専門とし、13年間にわたり超大手ハイテク企業等、経営トップをクライアントとしてきた。エレクトリックコマース戦略、メディア戦略、モバイル戦略など未来戦略に 関わるプロジェクトの責任者を歴任。

ハイテク以外の業種に対してもCRM(顧客リレーションシップマネジメント)、金融ビッグバン対応、規制緩和戦略、日本市場参入戦略などさまざまなプロジェクトを経験。ネットイヤーグループ入社直前には、米国サン・マイクロシステムズ社のためM&Aの戦略立案を行った。

ネットイヤーグループ株式会社

日本で初めてのSIPS(戦略的インターネットプロフェッショナルサービス)会社。SIPSは「戦略」「テクノロジー」「ユーザーエクスペリエンス

デザイン」の専門チームにより成功するeビジネスを支援し、大規模なeビジネスのパートナーとしてビジネスモデル構築、ソリューション開発、ユーザーインターフェースデザインなどをエンド・トゥ・エンドで提供する。2001年2月にはeCRM事業部を立ち上げ、SIPS事業における戦略分野として、eCRM事業を推進している。

メールアドレス:jack@netyear.net

ホームページ:http://www.netyear.net/


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