坂口 「ダメだ、やっぱりこれは取り下げられないそうだ!」
ユーザー部門側に要望を取り下げるよう依頼をかけていた坂口であるが、先ほどそれはできないとの回答が送られてきた。調整は一向に進まない。
伊東 「坂口さん、大丈夫ですか? なんだか顔色悪いですよ……」
確かにここのところ、深夜までの勤務が続いている。
終電を逃して、タクシーで帰ることもざらだ。
課題の調整以外にも、坂口たちにはしなければならないことが山のようにあった。
予算調整、プロジェクト進ちょく状況のチェック、社内への報告などなど……。
伊東も戦力になってきたとはいえ、坂口に負担がかかっているのが事実だ。
坂口 「豊若さんにプロジェクトの状況を報告しないと……」
マキシム・アンド・コンサルティングの豊若は、今回のプロジェクトにアドバイザーとして携わっているが、ほかの案件も抱える多忙な身でもあり、フルでの参画が厳しいという理由で、ここのところ連絡がなかなか取れずにいた。電話をしても不在だろう、と坂口はメールを書き始める。
『プロジェクトの状況報告および、今後の見通しについてご相談したく。来社可能な日時をご連絡ください』
1時間後、豊若から返信が来ていた。
『了解。明日の午後18時に伺います。 豊若』
豊若さんと話すのも久しぶりだな。坂口はそれだけでホッとする思いだった。
翌日の18時。サンドラフト社には豊若の姿があった。坂口と話すのは久しぶりだ。相変わらずさっそうとした身のこなしで、とても複数プロジェクトに携わる多忙な身には見えない。
坂口 「豊若さん、お忙しいのにすみません」
豊若 「いや、気にしなくていい。それよりプロジェクトの状況、送ってもらった資料を見て大体把握した。よくある話といえばそれまでだが、システムとユーザーで折り合いがつかないか」
坂口 「はい……。板ばさみにあっている状況で……。なかなか厳しいです」
豊若は少し間をおくと、コーヒーを口にしながら語り出した。
豊若 「100%調整しようと思うな。80%を狙え」
坂口 「えっ?」
完ぺきな豊若の口からそんな発言が出るとは、坂口には意外だった。豊若は少し間を置くとこう続けた。
豊若 「坂口、お前の目線はいまどこにある。情報システム部の立場か、ユーザーの立場か。それとも、IT企画推進室の立場か?」
坂口 「……。正直、分かりません。でも全部でいようと思っているのは確かです」
豊若 「だろうな、お前の性格なら。でも、上級シスアドならもう1つ、足りないものがあるんだよ」
坂口 「え? 足りないもの……」
豊若 「そう、経営者の目線だよ」
豊若の話はこうだ。上級シスアドは、確かに現場の情報化推進のリーダーであることが大前提だ。でもそれだけではなく、もう一段高い目線を持っておくことも必要だと。
経営にはリスクがつきものだ。でもリスクテイクができなくなったら、会社は成長していかない。だから100%ではなく80%を取って、20%をリスクテイクする。パーセンテージはあくまで例だが、それを見極めるのはプロジェクト全体を見ているおまえの役割ではないのか、と。
豊若 「それにな、経営者ってのは、常にテーブルの下にカードを10枚は持ってるんだぞ。おまえにはカードが何枚ある?」
坂口 「カード?」
豊若 「そう、カード。つまり代替案だ。課題の調整がうまくいかなかった場合の代替案。個別の課題ごとには考えているだろうが、プロジェクト全体として考えたときのことは想定しているのか?」
坂口 「いえ、まだそこまでは……」
豊若 「リスクの見極めが甘い。デスクに戻ってカードを検討しよう」
豊若はそういうと、坂口をオフィスに促した。坂口は豊若の厳しい指摘に気を落としたが、ゆっくり立ち上がると豊若の後に続いた。今夜も長い夜になりそうだ。
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