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» 2008年05月22日 12時00分 公開

本能寺の変の原因は信長のパワハラ?読めば分かるコンプライアンス(6)(1/2 ページ)

今回は、前回掲載した小説部分で取り上げたコンプライアンス問題について、筆者が分かりやすく解説する。

[鈴木 瑞穂,@IT]

(編集部から):今回は、前回掲載した小説パートに登場したコンプライアンス問題を解説する回となります。

 前回の小説パートを読んでいない方は、ぜひお読みになってから参照されると、より理解が深まると思いますのでご一読ください。


そもそも、パワハラとは何だろう?

 パワーハラスメント。略して「パワハラ」。

ALT 赤城 雄介

 この言葉は最近とみに耳にするようになった。十数年前、「セクハラ」という言葉が使われ始めたころの様子と非常に似ている。

 しかし、第5回の後半で赤城法務部長がいっているように、パワハラの公式な定義はいまだ確定されているとはいえない。

 ただ、おおよそ、以下のような要素がパワハラを構成すると認識されている。

1.上司の立場に基づいていること
「パワー」とは権力・権限の意味である。従って、パワーハラスメントとは、上司と部下という職制における、上司の部下に対する行為である。

2.業務上の必要性の範囲を超えていること
業務上の必要性に基づいている場合は、いわゆる「叱咤(しった)激励」となるであろう。

3.部下の人格を否定する言動を取ること
単に怒鳴るとか声を荒げるだけでパワハラになるわけではない。人は他人から自分の人格を否定されたときに、「嫌がらせ・苦しみの種=Harassment」と感じるのである。

4.継続的であること
人間は感情の動物である。ましてや、会社は、いろんな人々が寄り集まっている集団である。

 誰しも1度や2度は、ついカッとなって怒鳴ったり声を荒げたりすることもあろう。そんなことまで「パワハラ」だといって目くじらを立てるのは不合理である。1度や2度ならず、継続的に部下の人格を否定する言動を取って初めて、「パワハラ」として非難されるべきである。

明智光秀は信長のパワハラに耐えられなかった?

 織田信長は、宿敵の甲斐・武田家を滅ぼした際、長年の同盟関係に基づいて織田家のために尽くしてくれた徳川家康を招いて祝宴を張った。

 その祝宴で明智光秀が、「われら織田家も、幾度の試練を乗り越えて、よくぞここまでたどり着いたものでござる」とか何とかいったそうだ。

 そうしたら、それを耳にした織田信長が、「家来の分際でなんたる出過ぎた物のいい様、この金柑(きんかん)頭め、こうしてくれる!」といって光秀のところに跳んで行き、首根っこをつかんで、ほかの家来衆や家康の面前で光秀の頭を周囲の欄干に何度も何度もたたきつけたらしい。

 金柑頭とは、薄い頭髪でかろうじてちょんまげを結っていた光秀のあだ名とのこと。信長の光秀に対する仕打ちはこれだけにとどまらず、光秀が自分の家来になってからずっと、光秀の有能さを認めて軍団長まで引き上げながらも、事あるごとに光秀を揶揄(やゆ)したり罵倒(ばとう)したりしていたらしい。

 ちなみに、その祝宴の後、信長は光秀に対して、その所領である丹波の領地を召し上げて(信長に返上させて)、中国地方で毛利家と交戦状態にある羽柴秀吉への救援を命じている。これに対して、光秀は家来を引き連れて中国地方に赴く途上で「敵は本能寺にあり!」といって、いわゆる本能寺の変が起こったというのだ。本能寺の変は、光秀に対する信長の度重なる仕打ちが原因だったのではないかというのが、多くの歴史家の見方としてあるようだ。

 これが史実であるかどうかを論じるつもりはない。このエピソードの中に、前述したパワハラの4つの要素が見事に含まれているということを指摘したいだけである。

 いわゆる上の者が下の者に対して、上の立場に基づいて、合理的な必要性の範囲を超えて、立場が下位の者の人格を否定する言動を継続的に取ることは、人間の歴史が始まってからずっと、何らかの形で行われてきたものであろう。

 なのになぜ、いまこのご時世で「パワハラ」という言葉で表現され、しかも、その言葉がこれほどまでにポピュラーになっているのだろうか。

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