クラウドの潮流を考える――らせん的進化・その2オブジェクト指向の世界(27)(2/3 ページ)

» 2009年05月22日 12時00分 公開
[河合昭男,(有)オブジェクトデザイン研究所]

オープン化 − 機械中心から人間中心へ

 1990年代に入ってメインフレーム上のシステムは、UNIXサーバとWindows PCを用いたC/S型アプリケーションに置き換えられるオープン化/ダウンサイジングの時代が訪れました。

 オープン系システムの普及のきっかけとなったWindowsも、ルーツをさかのぼると1970年代に、米ゼロックスのパロアルト研究所で研究・開発されたWIMP(Window, Icon, Menu, Ponting device)など、いまではUIの当たり前となっている技術にたどり着きます。

 新しい技術の普及について、ロジャーズの“イノベーションの普及モデル”に当てはめるなら、1980年代にApple Macintoshが使われ始めたころがイノベーター(革新的採用者)の時代で、1990年代前半にWidows 3.xがリリースされたころからアーリーアダプター(初期採用者)に評価されて業務用に使われるようになり、一段階普及が進みました。Windows 95が出たころから普及モデル上のキャズムの壁を突破してアーリーマジョリティ(初期多数採用者)に採用されるようになり、メインフレーム上に構築されていた全社的基幹業務が、部門ごとのオープンシステムの形で開発されるようになったといえるでしょう。オープンシステムは簡易、低コストというメリットがある半面、その後社内システム不統一の混乱を招くというマイナス面も生じています。

 メインフレーム・ベンダによる囲い込みからオープン化への流れは、ホスト(主人)と端末という呼び方が、サーバ(奉仕人)とクライアント(顧客)に変化したことに象徴されるように、時代の流れを感じます。機械中心という考え方から人間中心、利用者主体に移ってきたのです。ユーザーインターフェイスも以前はMMI(マンマシン・インターフェイス)といっていましたが、HI(ヒューマン・インターフェイス)というソフトないい方に変わってきたのもこのごろです。

 オープン化でホスト側にあったアプリがPC側に下りてきましたが、当時のPCの処理能力にとって処理が重過ぎ、ファットクライアント現象という問題を引き起こしました。そこでPCとデータベース・サーバの間にアプリ専用サーバを配置する3層型C/Sが主流となります。いったん下におりてきたアプリが3層型C/Sアーキテクチャでまたサーバ側に帰っていったわけです。これはアプリを下から上に押し戻す圧力であり、Webアプリの伏線にもなっています。行き過ぎた振り子は反動で必ず元に戻ろうとするのです。

ALT 図2 オープンシステムからWebシステムへの移行

Webアプリ − MVCパターンの復活

 インターネットの普及とともにメインフレーム型、C/S型と進化してきたアプリケーション・アーキテクチャに対してWebアプリケーションというイノベーションによる新しいアプリケーション・アーキテクチャが生まれました。PC側の画面にブラウザを使うことが特徴です。当初ブラウザの機能はシンプルで、アプリケーション処理は行わず単純な入出力を受け持つのみでした。このシンプルさが普及の原動力となりました。ちょうどメインフレームのダム端末のようなもので、何か振り子が元に戻ったようです。オープンシステムでアプリはPC側に置かれるようになりましたが、Webアプリではまたメインフレームのように上位に押し戻されました。

 そのためWebアプリではメインフレーム時代のMVC(Model-View-Controller)アーキテクチャが復活しました。これは入力解析を行うControllerとアプリの本来の処理を行うModelと出力画面を作成するViewにアプリを3分割する仕掛けで、ダム端末やブラウザではできない入力解析(C)や画面作成(V)をホストあるいはサーバ側で行います。

ALT 図3 MVCパターンの復活

 メインフレームではその後、ダム端末のインテリジェント化でMMLの方向に移ってゆきましたが、ブラウザも単純な入出力だけではなくJavaアプレットやリッチクライアントなどブラウザ側で実行される機能が膨らんできたのは自然の流れのようです。上に行き過ぎたら必ず反動で下に押し返そうとする力が起きてくるわけです。

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