今回は、前回の小説部分で取り上げた、問題社員を解雇するケースについて、筆者がコンプライアンスの観点から分かりやすく解説する。
本編では、第19回に掲載した小説パートに登場したコンプライアンス問題を解説しています。前回の小説パートを未読の方は、ぜひお読みになってから参照されると、より理解が深まると思います。ご一読ください。
コンプライアンスとは、企業が存続し続けていくために、自社のステークホルダーおよび社会一般からの信用を維持しなければならないと意識することであり、その意識に基づいて、法令や社内規則およびモラルを遵守することである。
企業のステークホルダーとは、主に「顧客・株主・取引業者・従業員」である。
顧客は、その企業が信頼できると思うからその企業の商品を購入する。株主は、その企業が信頼できると思うから出資する。取引業者は、その企業が信頼できると思うから原材料や資材を提供する。そして、従業員は、その企業が信頼できると思うから勤務するのである(「信頼」と「不満」は別物である。相手に不満があるとしても、だからといって信頼していないことにはならない。信頼している相手にも不満はあったりするものである)。
企業に勤めるすべての者が、これらのステークホルダーの信頼を意識し、その信頼を維持するための行動をとり、信頼を損なうような行動を回避することが、コンプライアンスの実体である。従って、いわゆるコンプライアンス違反とは、ステークホルダーの信頼を裏切り、損なう行為を意味する。
従業員を対象とした場合、従業員に対するコンプライアンス違反とは、会社が法令や社内規則およびモラルに則さずに、従業員を不公平かつ非合理的に扱うことであるといえよう。つまるところ、労務問題はコンプライアンス違反の一形態なのである。
労務問題には、1つの特徴的な点がある。
それは「会社が従業員を不公平かつ非合理的に扱うこと」といった場合、「会社」とは、「部下に対して労務管理の権限と責任を有する管理職」を意味しているという点である。
つまり、労務問題はいわゆる「上司」と「部下」との関係において生じるのだ。従って、管理職はコンプライアンスを実現するためには、法令や社内規則およびモラルに則して、従業員を公平かつ合理的に扱い、労務問題が生じるのを避けなければならないという責務を負っている。
また、管理職が労務問題の発生を回避し、コンプライアンスを実現させるためには、リスクマネジメント的観点から、労働問題を法的リスクとしてとらえる必要がある。
リスクマネジメント的観点とは、大まかにいうと、何かを決断・決定するときに、考え得るリスクを予測し、それを回避するために必要な手立てを講じることである。
これは、ビジネス一般において必要とされる基本的な観点であるが(さらにいうと、人間が生きていくうえで必要とされる観点であるが)、労務問題においては、例えば、休日出勤を命じる場合や残業を命じる場合、配置転換や転勤を命じる場合など、管理職が部下に対して何らかの人事権を発動しようとする場合、「このような業務命令は法令や社内規則およびモラルに違反していないだろうか」と考えたうえで正しく判断する、という形で表れる。
従って、労務問題において管理職が正しいリスクマネジメント的観点を発揮するためには、法的観点も必要なのだ。法令を知らなければ、業務命令にリスクがないかどうかの判断もできないし、またリスクが予想される場合、どのようにしたらリスク回避ができるかの手立ても考えられない。
管理職が労務問題において正しいリスクマネジメント的観点を踏まえるためには、法的観点が必要となる。
これは正論であり、それゆえ、管理職研修などでは、労働法関連の法令研修がプログラムされることが多い。
しかし、筆者は思う。これは正論だけれども理想論であり、現場の管理職が多岐にわたる労働関連法令のさまざまな知識を正確に覚えるのはほとんど不可能である。
管理職に求められる法的観点とは、法令の細かな知識を頭に詰め込む前に「労働関連法令の理念」を理解することだ。そして、管理職が労務問題を回避してコンプライアンスを実現するためには、「経営の理念」と「労働関連法令の理念」とのバランスを図るという視点を持つことである。
「経営の理念」とは、経営者および経営の一端を担う管理職は、利益をあげるための行為を行い、利益を妨げる要因を排除することを目的とすることだ。そして、これはほとんどの経営者や管理職が、自己の経験を通じて無意識のうちに身に付けている発想である。
「労働関連法令の理念」とは、一言でいうと「労働者は保護しなければならない」という発想である。労働基準法を頂点とする労働関連法令は、企業を経済的強者、労働者を経済的弱者と位置付け、企業の恣意的な対処により労働者が不利益を被ることがないように、さまざまな局面で労働者の地位、権利を保護している。また、立法趣旨が労働者保護にある以上、労務問題が裁判になった場合、裁判所も労働者保護を第一義に考える。
前述のように、ほとんどの管理職は無意識のうちに「経営の理念」を身に付けているが、この「労働関連法令の理念」は、意識的に取り込もうとしなければ身に備わらないものだ。そして、管理職が部下に対して「労働関連法令の理念」を考慮せず、「経営の理念」の発想だけで条件反射的に対処するとき、労務問題が勃発し、コンプライアンス違反状態となるのである。これが労務問題の基本的なメカニズムだ。
従って、管理職は常に「経営の理念」と「労働関連法令の理念」とのバランスを図るという視点を自覚していなければならないのだ。
これは容易にできることではない。ただ、前述のように「労働関連法令の理念」といっても、こまごまとした条文の知識を暗記する必要はない。
もちろん条文を覚えられるのであればそれに越したことはないが、条文を暗記する前にまず、それぞれの労働関連法令の名称と、立法趣旨ないしは概略的な内容を理解する程度で十分だと思う。
要は、部下に対処するときに「このような指示を出して○○法上問題はないだろうか」というセンサーが働けばいいのである。自分自身で法律の条文や判例などを基にして解答を出せなくてもセンサーさえ働けば、後は解答の出せる人・部署に問い合わせればいいからだ。
管理職が「経営の理念」と「労働関連法令の理念」とのバランスを図るという視点を自覚し、自分の内にこのようなセンサーを持つだけで、労務問題のほとんどは回避され、コンプライアンスが実現されることになる。
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