下請けいじめでストレス発散は犯罪?読めば分かるコンプライアンス(21)(3/4 ページ)

» 2009年09月08日 12時00分 公開
[鈴木 瑞穂,@IT]

発注元と下請けの攻防

 神崎は、本体の経理システム構築に配置している5人のスタッフのうち2名をマニュアルドラフト作成に割り振り、マニュアル全体を4つの章から成る構成とし、1章ごとに説明文のドラフトを書かせ、それをチェックして藤堂に引き渡した。それを受けて藤堂は、描き起こしたキャラクターを使って各ページをイラスト化していった。

 そのようなサイクルで作業は順調に進んでいった。ところが、神崎は藤堂が作成した各ページを実際に目にしてみると、それぞれのカットの説明文がやたらと長いような印象を受けた。

神崎 「(1カットの説明文の文字量をもう少し減らさないと読みにくいな。そのためには、カット数を増やさなきゃだめだな)」

ALT 神崎 亮太
ALT 藤堂 流星

 そう考えた神崎は、藤堂にイラストの追加を要求し始めた。藤堂の経験通りの展開である。そして、マニュアルの第2章が出来上がるころには、その追加は早くも20カットに達していた。この調子で第4章までいくと、追加イラスト数は50カットを超えるかもしれないという勢いである。

 零細事業主である藤堂にしてみれば、「イラストの追加は、20カットまでは報酬金額の範囲内とする」という旨の取り決め、すなわち、21カット以降は別料金という取り決めは、自己の「知的生産活動」に対する「報酬」を確保するうえで必須条件であり、自分の生活を守るうえで死活問題であった。

 神崎がメールで22カット目の追加要求をしてきたとき、藤堂は神崎に電話をし、いつものように低い物腰で相談を持ち掛けた。

藤堂 「神崎さん、藤堂ですが……」

神崎 「ああ、藤堂さん。いましがた、追加イラストのメールを送ったんですが、見てもらえましたか?」

藤堂 「ええ、その件で少しご相談が……」

神崎 「相談? なんでしょう?」

藤堂 「相談……というほどのことでもないのかもしれませんが、そのぉ、覚えていらっしゃると思うのですが、20カットまでの追加イラストは報酬金額の範囲内とするという取り決めをさせていただいてますよね?」

神崎 「え? 20カットまでの追加? ああ、そういえば、そんなことを話したこともありましたね」

藤堂 「ええ、ええ、それなんですよ。で、ですね。そのぉ、今回のメールの追加要求で22カット目の追加になるんですが……」

 神崎はカチンときた。

神崎 「ほほぉ、そうでしたか。……それで、つまりは、どうしろと……」

藤堂 「ですから、そのぉ、まだ第2章なのにすでに22カットの追加ですから、あの取り決めを参考に何かこう、ご配慮いただけると助かるんですが……」

神崎 「(ご配慮だと? 金を払えってことか。気に食わんなぁ)藤堂さん……。キャラクターは決まっているんだし、カットの追加なんてすぐにできる簡単な作業じゃないですか。そんな硬いこといわずに、お願いしますよ?」

 藤堂はやっぱりそう来たかと思った。以前も、いまの神崎と同じような反応を示したクライアントがいた。素人には、イラストを描くのも知的生産活動だという認識がないから困る。知的生産活動には、それなりの報酬が支払われて当然だというのに。

 しかし、同時に藤堂は経験則からいきなりそんな理屈をぶつけると、優越意識を持っているクライアントを怒らせることになり、良い結果にならないことも知っている。

藤堂 「(ここはまだ我慢のしどころだ。もう1、2回繰り返しお願いすれば、もしかしたら分かってもらえるかもしれない)硬いことをいうつもりではないんですが……。ええ、それじゃあ、今回はなんとかやってみますけど……」

神崎 「そう、やってみてよ(やればできるじゃん。ゴタゴタいわないでやれってぇの)」

 誰のおかげでメシが喰えてると思ってるんだ?! さすがに口には出さなかったが、神崎の心の中にはそんな優越意識が頭をもたげてきていた。

そして、最後の手段に出ることに……

 その後も、事態は藤堂の経験則通りに展開し、神崎からのイラスト追加要請は続く一方だった。追加数が25カットを超えたとき、30カットを超えたとき、藤堂は神崎にいつもの低い物腰で、別料金での対応をお願いした。

 しかし、神崎はもともと経済的強者の優越意識を持っていたのに加えて、本体の経理システムのテスト運用でいくつかのバグが発見されたことが重なって、藤堂の要請に対してまともに対応しないばかりか、乱暴な言葉でその要請をはねつけるようになった。

 藤堂にとって、神崎の乱暴な言葉はどうでもよかった。そんなことよりも、神崎には別料金で対応するつもりがまったくないという事実の方が深刻だった。これでは飯の食い上げである。以前、別の依頼主との間で同じような事態になったとき、仲間のイラストレーターから「最後の手段」を教えてもらったが、いよいよその「最後の手段」を使うべきときがきたのかもしれない。

 藤堂は、神崎宛てのメールの文章を打ち始めた……。


 そのメールは、「ご対応お願いいたします」というタイトルでメールボックスに入っていた。

神崎 「(また藤堂か、今度は何だ?)」

 軽い気持ちで藤堂のメールを読み進めていった神崎は、しかし、その意外な内容に驚き、面食らった。

神崎 「(当初の取り決めにもかかわらず、20カットを超える追加イラストに別料金で対応していない……、まだそれにこだわってるのかよ。まったく、誰のおかげでメシが食えてると思ってんだ。なんだって? それは契約違反であるだけでなく、実質的に報酬額の一方的な減額であり、下請法に抵触する……だと? 契約違反とか、そんな大層なことか? 報酬額の減額? いつ減額したってんだよ。58万円は払うっていってんだろ。それにナンだ、下請法って。『下請法に抵触するものと判断せざるをえず、公取委に相談することも考慮しなければなりません』とかいって、何様のつもりだ、まったく!)」

 読み進めていくうちに、驚きはだんだんと腹立ちに変わり、神崎は携帯電話に手を伸ばした。性格的に藤堂とメールのやり取りをするほど気長でもなく、また、状況的に落ち着いて文章を書ける状態でもない。いまの気持ちを電話で直接ぶつけて談判するのが一番手っ取り早い。

 しかし、藤堂の携帯電話への発信ボタンを押す直前に、神崎の指は止まった。藤堂も、何の根拠もなく契約違反とか下請法違反とかのモノモノしい言葉は使わないのではないか。藤堂のいうことにそれなりの根拠があるのなら、それにブチ切れる方が不利になるのではなかろうか。

 これはまったくの勘である。だが、自分の勘を信じている神崎は、最後の一瞬で思いとどまった。ブチ切れるのはいつでもできる。切れる前にまずは確認だ。神崎は藤堂のメールをプリントアウトし、内線番号を押した。

赤城 「はい、法務部の赤城ですが……」

神崎 「赤城さん、ちょっとお知恵を借りたいことがあるんですが、いまお伺いしていいですか」

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ